SNSは「タバコと一緒」の扱いに…?米国で始まった「若者の健康」に関する「超重要な議論」

AI要約

2024年6月17日、アメリカで、ソーシャルメディア企業に対して、若者向けにメンタルヘルスを害する可能性を警告するラベルを表示すべきだという方針が、ヴィヴェック・マーシー医務総監によって勧告された。

提案された「警告ラベル」とは、SNSの過度な利用はユーザーのメンタルヘルスを害する可能性があることを利用者に示すためのものであり、議論は公衆衛生の問題にまで広がっている。

Surgeon Generalによる提案は、SNSの問題を個別の被害者の救済だけでなく、社会全体の健康に与える影響を考慮した議論を促しており、重要な視点を提供している。

SNSは「タバコと一緒」の扱いに…?米国で始まった「若者の健康」に関する「超重要な議論」

2024年6月17日、アメリカで、ソーシャルメディア企業に対して、若者向けにメンタルヘルスを害する可能性を警告するラベルを表示すべきだという方針が、ヴィヴェック・マーシー医務総監によって勧告された。医務総監とは"Surgeon General"という役職の訳語で、アメリカの公衆衛生の実務を仕切るトップの行政官のことである。

提案された「警告ラベル」とは、タバコのパッケージにある「健康を害する可能性があるので利用や頻度は考えてたしなみましょう」という警告に準じたものがイメージされている。要するに、SNSの過度な利用はユーザーのメンタルヘルスを害する可能性がある、という警告を、何らかの形でSNSを利用する際に利用者に示すことを求めるものだ。

もちろん、Surgeon Generalがそう勧告したからと言って、即、実現されるわけではない。連邦議会による勧告内容の承認、ならびに実施にあたっての予算の決定など、必要な手続きはいくつもある。今回のマーシー医務総監の提案の意図は、まずは議会に対して行政官としての方針を示し、その方針に対して審議を進めてほしいと求めることにあった。

ここで注目すべきは、アメリカの公衆衛生を統括する医務総監の勧告によって、SNSの利用が、先述したタバコのように、公衆衛生の問題として改めて提起されたことだ。「公衆衛生」といってピンとこないようなら、Public Healthの直訳に戻って「(社会)みんなの健康」とした方がイメージしやすいかもしれない。つまり、個々のユーザーが鬱になったり自傷行為に走ったりする、といった問題だけでなく、そのような症候を示す人たち――主には10代の若者――が社会で増加する、あるいは一定数の存在を維持し続けることが、直接の被害者だけでなく、家族や学校、あるいはコミュニティなど、広く社会全般の精神状態に与える影響を考慮に加えようということだ。

こうすることで論点が、当事者の救済や防衛という段階から一段上がって、より広く社会全般の問題へと転じている。以前、マーク・ザッカーバーグが議会の公聴会の席で、Meta社傘下のInstagramやFacebookといったSNSへの接触をきっかけに自殺した子どもをもつ家族に対して、その場で謝罪したことについて報告したことがあった。

そのときの記事〈「子どもの守護」を建前に繰り広げられる、米国議会とテクノロジー界隈の「千日手」…横たわる「2つの権力」〉でも触れたように、子どもに関わる事件が相次いだことで、議会の中でも、子どもをSNSの魔の手から守ろう、という掛け声の下、超党派の法案が提出されている。子どもをオンライン上で守ることを目的にした「キッズオンライン安全法(KOSA: Kids Online Safety Act)」を起草した2人の上院議員、すなわち民主党のリチャード・ブルメンタール(コネチカット州選出)と共和党のマーシャ・ブラックバーン(テネシー州選出)がそうした論者の代表だが、彼らはともに、今回のマーシー総監の提案への支持を表明している。

ただ、そうはいっても、マーシー医務総監の勧告は、子どもを守るだけでなく、より広く社会を守る、社会の健全さを守る、というより高い視点からの議論を求めるため、この先の検討はなかなか容易ではないのも事実だ。それでも「公衆衛生」という観点から、SNSの問題に切り込んだのは興味深い。それは、単なる被害者救済や、被害者予備軍の早期防衛、といったことだけにすまない「パブリック(公衆)」の視点から事態の解決策の検討を求めているからだ。

そのような提案が可能だったのは、やはりSurgeon GeneralがPublic Healthを統括する指揮官であることが大きいのだろう。そこで、この役職のアメリカ社会における位置付けについていくつか確認しておきたい。なぜなら、「公衆衛生」という観点を取り入れることで、SNSの捉え方が、個々人のプライバシーの保護や知的所有権の管理といった、単なる「私的な」扱いを超えたものへと転じたように思えるかからだ。そのような提案をしたSurgeon Generalの役割を理解することで、公衆衛生という議論の仕方の特徴もよりわかりやすくなるように思われる。