紫式部が思わずマネした清少納言の革命的な風景描写…だから「枕草子」は1000年も残る傑作になった

AI要約

清少納言は、自然の美しい風景を新しい視点から描写し、時間の観点から風景を捉えることで際立った存在となった。

清少納言の文章は、その斬新な風景描写が紫式部にも影響を与え、『源氏物語』にもその痕跡が見られる。

清少納言の詩的な表現と独創的な視点から、随筆という新しい文学ジャンルを生み出す一助となった。

枕草子の作者、清少納言はどんな人物だったのか。埼玉大学名誉教授の山口仲美さんは「自然風景を描写する能力が突出していた。ライバルである紫式部も思わず清少納言の文章をマネするほどだった」という――。(第2回)

 ※本稿は、山口仲美『千年たっても変わらない人間の本質 日本古典に学ぶ知恵と勇気』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

■あまりに斬新だった清少納言の視点

 清少納言の風景を切り取る視点が実に斬新であることを説明しましょう。

 たとえば、私たちが「春で最も感動的な風景を一つあげてください」と人に言われたとします。あなたは、どんな風景をあげますか?

 多くの人は「桜の咲き乱れた風景」と答えるでしょう。私もむろん、その風景を例示しそうです。絢爛豪華に咲き乱れる桜の美しさは、何といっても感動的ですからね。

 でも、清少納言は、春で最も感動的なのは「あけぼの(=夜明けの頃)」と言います。時間の観点から切り取った風景を提示する。思わず「えっ」と意表を突かれます。

 山ぎわがだんだん白んでいって、やがて空がほんのり明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている。最高よね、なんて言う。風景といっても、刻々と変わりゆく自然美をあげるのです。だから、ものすごく新鮮。

 続いて、夏で一番感動的な風景は「夜」、秋は「夕暮」、冬は「つとめて(=早朝)」。すべて、時間の観点から切り取られた風景です。そして、刻々と移り行く自然美を的確に鮮明に描写している。実に巧みです。

 誰が、時間の観点から風景をとらえようと思うでしょうか? 清少納言に一本取られた感じがします。刻々とうつりゆく風景の美しさは、絵画でも決してとらえることができない。絵画は、ある一瞬の静止画だからです。

 『枕草子』は、絵画でもとらえられない風景を文字で写し取っているのです。

■紫式部も『源氏物語』に取り入れた

 こんな鮮烈な風景描写の文章を、『源氏物語』の作者・紫式部が見逃すはずがありません。『枕草子』に見られる風景描写を、巧みに『源氏物語』が取り入れている痕跡が指摘できます。

 たとえば、『枕草子』の「九月ばかり夜一夜降り明かしつる雨の」(一二五段)に出てくる雨あがりの後の見事な風景描写を、『源氏物語』は巧みにアレンジして取り入れています。

 『枕草子』は、雨あがりの翌朝の光景をこう記しています。まずは、現代語訳で要約的に記しておきます。

 一晩中雨が降り続いた翌朝、朝日がさんさんと降り注ぎ、庭の植え込みにかかった露が輝き、今にもはらはらと落ちんばかりになっている。蜘蛛の巣にも雨の雫がかかり、白い玉を貫き通したようになっている。

 少し日が昇ると、昨夜の雨に濡れた萩などが、露で重そうにしなり、露が落ちるたびに枝が動き、人が触れたりしないのに、いきなり上に跳ね上がったりする。

 最後の文の、少し日が昇った時の萩の様子を写した部分の原文は、こうです。

 すこし日たけぬれば、萩などの、いと重げなるに、露の落つるに、枝うち動きて、人も手触れぬに、ふと上ざまへあがりたるも、いみじうをかし。

 (=少し日が高くのぼってしまうと、萩などがひどく重たそうなのに、置いた露が落ちると、枝が動いて、人も手を触れないのに、さっと上の方へ跳ねあがったのも、とても風情がある。)

 『源氏物語』では、この原文を記した部分を下敷きにしているのではないかと思われる情景描写に出会います。末摘花邸の様子を描いたところです。

 『源氏物語』では、雨ではなく、雪なのですが、雪の重みに耐えかねてしなっていた橘の枝から雪を落としてやると、傍の松の木がひとりでに跳ね上がってさっと雪を散らす様子です。こんなふうに描いています。

 橘の木の埋もれたる、御随身召して払はせたまふ。うらやみ顔に、松の木のおのれ起きかへりて、さとこぼるる雪も、(『源氏物語』末摘花)

 (=橘の木が雪に埋もれているのを、御隋身を呼んでお払わせになる。それを羨み顔に、松の木がひとりで起き返ると、さっと雪がこぼれ落ちるのも、)

 人も触れないのに、一人で起き返る植物の描写。似ていますね。紫式部のこと、『枕草子』の印象的な風景描写を巧みに取り込んだ可能性はありますね。取り入れたくなるほど、『枕草子』の風景描写は優れていた、とも言えます。

■だから随筆という新ジャンルを生み出せた

 清少納言の文章は、以上述べたように、まことに斬新。

 ①それまでに描写対象として取り上げられることのなかった風景という新しい対象を散文世界に取り入れたこと、

②しかも、その風景を、普通の人が思いつかないような「時間」の観点から描き出していること。その観点は、絵画にすることもできず、文字でしか描写できない観点でもあります。

 こうした清少納言の特性は、従来の散文の文学ジャンルには収まりきらないものです。

 日々の出来事を書き記す日記でもない。ストーリーの展開を中心にする物語でもない。では、何か? 自分の考えや感じたこと、体験や見聞を思いのままに綴れる新ジャンルを創出する以外にありません。それが、随筆です。

 こうして、清少納言は、随筆という新ジャンルを生み出したと察せられます。