「反核9の日座り込み」500回、被爆者も若者もつなぐ45年「自分の平和のためにやる」

AI要約

被爆者らが45年にわたり続けてきた「反核9の日座り込み」が500回を迎える。若者も参加し、核廃絶への思いを綴る。

被爆者らは核廃絶への強い意志を持ち、若者も平和活動に参加。被爆経験者訴訟への支援も続く。

国際社会は核脅威を続ける中、座り込みは核廃絶への前進を訴える。観光客や外国人も活動に賛同。

「反核9の日座り込み」500回、被爆者も若者もつなぐ45年「自分の平和のためにやる」

 真夏も、真冬も、変わることなく45年。被爆者らが1979年から長崎市の平和祈念像前で続けてきた「反核9の日座り込み」。被爆者の平均年齢が85歳を超える中、活動は若者に広がりつながれてきた。500回目を迎えた9日。参加者は次々とマイクを握り、自らの言葉で平和への思いを語った。核がなくなるその日まで-。 

 普段の4倍ほどの約420人が集まった平和祈念像前。「人のためではなく、自分の平和のためにやるんだという気持ちだった」。3歳で被爆し、1回目から参加してきた吉田豊さん(82)=同市滑石2丁目=は45年の歩みをこう振り返った。

 「座り込みをしても核兵器はなくならない」「戦争は終わっていない」-。活動に厳しい声が寄せられることもあったという。

 が、座ることをやめなかった。平和を“自分事”に捉える強い意識からだった。「座り込みで(核兵器は)絶対にいけないという気持ちを大きくしてきた。自分の気持ちを伝え、平和を願う気持ちを広げることが世界の恒久平和につながる」と意義を強調した。

 被爆者と認めてほしいと願う人たちも集った。長崎地裁で審理が続く被爆体験者訴訟の原告の1人で、多長被爆体験者協議会の山内武会長(81)は仲間と「被爆体験者は被爆者だ」と書かれた横断幕を掲げた。9月の地裁判決に触れ「必ずいい判決が出ると思っている。先は長いが頑張っていきたい」と訴えた。

 45年の間に、参加してきた被爆者はどんどん帰らぬ人に。代わりに力になってきたのは若い力だ。この日も平和活動に取り組む大学生や高校生が多くいた。「原爆による苦しみ、悲しみ、恐ろしさを多くの人が感じてきたことを知っている。世界に広めていきたい」。今年の高校生平和大使で、被爆3世の津田凛さん(16)=長崎東高2年=はそう誓った。

 反核座り込みとは別に、米国などによる臨界前核実験が実施される度に同様の抗議の座り込みをしている被爆者の山川剛さん(87)も「抗議というさざ波は必ず大陸に届いて、効果を発揮する。さざ波を立て続けることが重要だ」。

 500回声を上げ続けても、ロシアは核による威嚇を続けるなど国際社会は核廃絶から逆行するような状況が続く。主催者である県平和運動センターの被爆者連絡協議会の川野浩一議長(84)は言葉に怒りを込めた。「私たちが勝つのか、核が勝つのか、そのせめぎ合いだ。核がなくなるまで絶対に座り込みをやめることはない」

 見守った観光客も活動に心を寄せた。東京から旅行で訪れた会社員の大野真理絵さん(28)は「日常生活で忘れがちな反戦の思いを改めるきっかけになった」とうなずいた。

 平和公園には外国人の姿も多く、フランス人の会社員ベルモデロシュ・ローランさん(64)は「同じ悲劇を二度と起こさないためにもとても大切な取り組みだと思う」と賛同した。 (鈴鹿希英、松永圭造ウィリアム、竹添そら)