雨の日も雪の日も核兵器廃絶訴え 毎月9日に座り込み500回 長崎

AI要約

長崎県平和運動センターは500回目の「反核9の日座り込み」を行った。被爆者らが核廃絶を訴える中、45年の歴史を持つこの活動は、新型コロナ禍でも続けられている。

原水爆禁止日本国民会議共同議長や被爆者たちは核兵器廃絶への決意を示し、戦争と核兵器のない平和を願って座り込みを続けている。そして、若い世代や労働団体も連帯を誓い、平和のために活動を続ける意志を示している。

500回目を迎えた座り込みの参加者たちは未来を見据え、核兵器のない世界を目指して力を合わせている。被爆者たちの訴えに耳を傾け、平和への願いを共有することが重要である。

雨の日も雪の日も核兵器廃絶訴え 毎月9日に座り込み500回 長崎

 長崎県平和運動センターなどは9日、長崎市の平和祈念像前で500回目の「反核9の日座り込み」をした。1979年3月の第1回から45年で500回に達した。被爆者ら約420人が「長崎を最後の被爆地に」と声を上げた。

 第1回は79年3月16日。放射線漏れ事故を起こした原子力船「むつ」が78年10月に長崎県・佐世保港に入港したことに抗議し、県平和運動センターの前身の労働団体が始めた。むつが82年8月に佐世保を出てからは、米軍が長崎に原爆を投下した45年8月9日にちなみ毎月9日に続けてきた。

 同センターの米村豊議長は「雨の日も雪の日も座り込み、新型コロナイウイルス禍でも参加者同士が距離を取って続けた」と振り返り、「核兵器を持ったり、使ったりしようとするのは戦争のためだ。戦争をさせないことを求め、核兵器がなくならない限り、座り込みを続けていかなければならない」と訴えた。

 原水爆禁止日本国民会議共同議長で被爆者の川野浩一さん(84)は「500回も座り込んでいるのに核兵器がなくならないのは本当に腹立たしい」と語気を強めた。長崎の爆心地から約3・1キロの路上で被爆した自身の体験を語り、「核兵器や戦争をなくさない限り私たちに平和はない。できればこの500回で終わりにしたい。力を合わせ、日本、世界の平和のために頑張っていこうではないか」と呼び掛けた。

 また、第1回から参加している被爆者の吉田豊さん(82)は「よくここまで続けてきたと感慨深い。体が続く限り参加し、『自分の平和のために』という気持ちで頑張りたい」と話した。

 核兵器廃絶を求めて署名活動をしている高校生平和大使や県内各地区で座り込みをしている労働・平和団体の代表者らも連帯を誓った。【尾形有菜、樋口岳大】