故郷を思う「脱北者」たち 南北対立激化で遠のく夢

AI要約

北朝鮮出身者が韓国で開催された大規模な運動会に参加し、自国の歌を歌いながら競技を楽しむ様子が描かれている。

脱北者団体が統一を目指す思いを胸に、道民会が毎年開催している運動会には約1800人が集まり、3世代が参加している。

脱北者知事や脱北者の悲しい過去、若い世代の南北統一に対する願いなど、多様な視点から記事が展開されている。

故郷を思う「脱北者」たち 南北対立激化で遠のく夢

 初夏を思わせる陽気の中、とある場所で開かれた大規模な運動会を取材した。

 「平壌チームの入場!」。司会の男性のかけ声に合わせ、男女の選手たちが元気よく行進してきた。孟山(メンサン)、大同(テドン)、中和(チュンファ)といったチームが続く。いずれも北朝鮮の地名だ。

 続いて荘厳なメロディーが会場に流れ、歌声が響いた。

 ♪ 陽徳孟山(ヤンドクメンサン) 流れ落ちる澄んだ青い大同江(テドンガン) 牡丹峰(モランボン)の浮碧楼に包まれた平壌城の悠久の歴史と由緒ある錦繡山(クムスサン)

 大同江、牡丹峰、平壌城、錦繡山。北朝鮮の自然や地名が歌詞に盛り込まれている。

 北朝鮮にいるかのような錯覚を覚えそうになる。でもここはソウル。参加者たちも北朝鮮住民ではない。

 主催したのは、朝鮮戦争(1950~53年)前後に北朝鮮の平安南道(ピョンアンナムド、道は日本の都道府県に相当)から「脱北」して韓国に逃れた人や、その子、孫らで作る団体「平安南道中央道民会」。1世は高齢のため、選手たちは子や孫だ。韓国全土から総勢約1800人が駆けつけた。出身地域ごとにチームを結成した対抗戦で、今年で53回目だ。

 「朝鮮半島の統一を実現し故郷に帰ろう」。道民会は、そんな思いから1世が結成し、毎年、さまざまな催しを開催してきた。平安北道(ピョンアンプクド)、黄海道(ファンヘド)など他の地域の出身者で作る同様の道民会もある。

 「半島に平和が訪れ、皆が手を取り合い、この大会が平壌で開かれる日を期待しています」。道民会の金顕竜(キム・ヒョニョン)会長は祝辞で、そう訴えた。冒頭の歌も、中央道民会が故郷への尽きぬ思いを込めて作ったものだ。

 競技が始まった。綱引き、玉入れ、駆けっこ。その様子を見つめる男性がいた。1世の趙善模(チョ・ソンモ)さん(86)だ。

 平安南道の順川(スンチョン)出身。12歳の時、朝鮮戦争が勃発した。「共産主義者の統治する北にはいたくない」と両親や兄弟らと共に韓国を目指したが、戦闘の混乱で両親とはぐれてしまう。「大勢の人と共に南を目指したが、戦闘の銃弾が当たり死ぬ人もいた」。命からがらソウルに逃れ親戚と再会したが、両親は北朝鮮に取り残された。以来、故郷に戻れず、生き別れた両親はすでに亡くなった。

 「故郷に行きたい思いは鉄のように固い。でも古里はすっかり変わってしまったでしょう。行っても意味があるかな」。それでも、と自らに言い聞かせるように続けた。「古里は決して忘れてはならない。だから子や孫が古里を感じられるこの運動会のような機会はとても大切なのです」

 運動会では3世の若者の姿も少なくなかった。祖父母が平安南道出身の鄭嘏率(チョン・ハユル)さん(28)の同年代の友人や知人で、北朝鮮や統一問題に関心がある人は皆無という。南北の分断から長い年月がたち、若い世代を中心に統一問題に興味がない国民が増えるのは、南北の極端な経済格差や政治体制の違いを思えば当然かもしれない。そんな状況でも、鄭さんはこう願う。「私たちの後の世代であっても、いつか統一の日が来てほしい」

 来賓席では政府関係者らが観戦した。その中に「平安南道知事」の趙明哲(チョ・ミョンチョル)氏(65)の姿もあった。

 韓国政府は、北朝鮮の統治下にある半島の北側も憲法上は「領土」と位置づける。だが大統領が任命する各道の「道知事」たちは北朝鮮側に赴任できず、ソウルの庁舎で職員らを指揮する。職務内容は、朝鮮戦争前後に韓国に逃れた市民の交流事業や生活支援▽離散家族の再会事業▽近年、北朝鮮から逃れてきた脱北者の支援▽北朝鮮に関する情報収集--などだ。

 知事室が入る庁舎を訪ねると「平南民報」「黄海民報」などの新聞が並んでいた。「平南」は平安南道、「黄海」は黄海道。韓国側の「道民」の活動を報じる週刊新聞だ。

 知事室で趙氏が笑顔で出迎えてくれた。「今年7月で韓国に来てちょうど30年になります」。自らも脱北者だ。

 平壌で高級官僚の家庭に生まれ、故金正日(キム・ジョンイル)朝鮮労働党総書記も通った幹部の子弟のための学校で学んだ。金日成(キム・イルソン)総合大学で経済学を修め、卒業後は同大で教べんを執った。だが、中国での留学生活で「北朝鮮には一切の自由がない」と痛感。94年7月に香港の韓国大使館に逃げ込み、脱北に成功した。韓国では経済関連の研究機関に勤めた。「北では論文の一言一句まで当局の検閲を受けるが、韓国ではそのまま発表できる。衝撃を受けた」と振り返る。2012年に保守系政党から国会議員選(比例代表)に出馬し当選、1期務めた。22年7月、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領から平安南道知事に任命された。

 「(朝鮮)戦争前後に韓国に逃れた人は500万人と言われるが、1世は多くが世を去りました」。今では北朝鮮を直接知らない子や孫が道民会などの活動を支える。

 一方、食糧難で多数の北朝鮮住民が餓死したとされる90年代を経て、生活苦などから韓国に脱北した人は3万人を超える。「脱北者の失業率は、他の韓国人の約3倍、自殺率は約4倍に達します。韓国社会に適応できなかったり、就職に必要な技術などが足りなかったりすることが原因です。私は国会議員時代、公営企業に一定の脱北者の雇用を義務づける法律の成立を目指しましたが、果たせませんでした。残念でなりません」

 核・ミサイル開発を進める北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)政権は、長年にわたる「朝鮮半島統一」の方針を転換。北朝鮮と韓国の「2国家」論を唱え、南北の住民は「同族関係にない」とまで言い切った。南北間の対話は進まず、道民会の人々や脱北者たちが南北を自由に行き来できる日は、遠のいたままだ。「(北朝鮮が)韓国のように自由で民主的な社会に変わり、統一が実現してほしい」。その言葉には、やり場のない悔しさがにじんだ。【ソウル支局長・福岡静哉】