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長崎原爆の日「平和宣言文」被爆詩人の詩を引用…長崎市が文案、苦しみや核廃絶を世界に訴え
6時間前

長崎原爆の日「平和宣言文」被爆詩人の詩を引用…長崎市が文案、苦しみや核廃絶を世界に訴え

 長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典で長崎市長が読み上げる平和宣言文の起草委員会(委員長・鈴木史朗市長、15人)の第3回会合が6日、同市の長崎原爆資料館で開かれた。市は、被爆者の詩を引用しながら、核兵器廃絶を世界に訴える文案を提示した。 文案では、長崎で被爆した詩人が被爆者の

「キノコ雲とB29爆撃機」がフットボールチームのマークに…原子力爆弾開発で栄えた“リッチランド”に暮らす人々の真実
2024.07.05

「キノコ雲とB29爆撃機」がフットボールチームのマークに…原子力爆弾開発で栄えた“リッチランド”に暮らす人々の真実

 リッチランドとは、アメリカ・ワシントン州南部にある都市の名前。そして映画『リッチランド』は、そこに暮らすさまざまな人たちの声を集めたドキュメンタリー作品だ。 映し出されるのは、穏やかで満ち足りた表情をした住人たちの平和な日常。しかし、彼らが応援する地元高校のフットボールチームの

岸田首相、被爆体験者と初の面会へ 救済問題への見解に注目集まる
2024.07.01

岸田首相、被爆体験者と初の面会へ 救済問題への見解に注目集まる

 長崎の爆心地から12キロ以内で原爆に遭いながら被爆者と認められていない被爆体験者が、長崎原爆の日(8月9日)に長崎を訪れる首相らと面会し、救済を直接訴える見通しになった。首相らが被爆者団体代表から要望を聞く恒例の場に被爆体験者も出席する。首相が被爆体験者と面会するのは初めてで、救済の問題にど

「先がない…パフォーマンスで終わらないで」総理大臣と被爆体験者の初面会決まる
2024.07.01

「先がない…パフォーマンスで終わらないで」総理大臣と被爆体験者の初面会決まる

ことしの8月9日「長崎原爆の日」に、被爆体験者が総理大臣と初めて面会することが決まり、1日要望事項についての話し合いが行われました。8月9日の平和祈念式典後に例年行われている総理と被爆者団体との面会。ことしは国が定めた被爆地域外にいて被爆者と認められていない「被爆体験者」も同席す

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】
2024.07.01

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】

広島と長崎に原爆が投下されて2024年8月で79年となります。その原爆で亡くなった人たちを悼む慰霊祭が岡山市で行われました。慰霊祭には岡山県被爆者会のメンバー約30人が集まり、被爆者の霊を慰めようと40秒の黙とうをささげました。このあと廣信靖之会長が慰霊の言葉を述べ

原爆「生き証人」語る決意 世界平和巡礼から60年
2024.07.01

原爆「生き証人」語る決意 世界平和巡礼から60年

 1964年4~7月、広島と長崎の被爆者25人が当時の米国やソ連、東西ドイツなど8カ国150都市を巡り、被爆証言をした「広島・長崎世界平和巡礼」から今年で60年となった。参加した広島市の阿部静子さん(97)は「うつむきながら暮らしていた私に、巡礼は勇気や自信をくれた。『原爆の生き証人』として語

長崎被爆証言、米国の旅を映画に 原爆資料館で上映会、東京開催も
2024.06.29

長崎被爆証言、米国の旅を映画に 原爆資料館で上映会、東京開催も

 昨年11月、米国3都市で証言や市民との対話を実施した「長崎県被爆者手帳友の会」は29日、活動の様子を写したドキュメンタリー映画の上映会を長崎原爆資料館で開いた。発案者の被爆者朝長万左男さん(81)は、講話先で質問してきた少年に触れ「こういう市民が育っていけば米国の核廃絶の動きも有望だ」と話し

広島市 松井市長が原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」慰問 78歳から101歳まで被爆者80人が入所
2024.06.26

広島市 松井市長が原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」慰問 78歳から101歳まで被爆者80人が入所

8月6日の原爆の日を前に、広島市の松井市長が原爆養護ホームを訪れ、被爆者を慰問しました。松井市長が訪れたのは、広島市東区の原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」です。松井市長は入所者に対し、「自身の体験を命の限り若い人たちに伝えていくという大きな仕事があります。お体に気

「結婚当初は元気だったのに」被爆した妻は足の先を切断した 闘病生活を語った夫の涙
2024.06.26

「結婚当初は元気だったのに」被爆した妻は足の先を切断した 闘病生活を語った夫の涙

 平和の尊さを伝える「原爆と戦争展」が京都市右京区の本願寺・角坊で開かれた。このほど、中京区の川越義夫さん(87)が講演し、長崎への原爆投下で被爆した妻の闘病生活を振り返った。 7年前に亡くなった妻潔(ゆき)子さん(享年79)は1945年8月9日、国民学校3年の時に長崎市で被爆。

「原爆の父」が被爆者に謝罪 通訳証言の映像見つかる 広島
2024.06.21

「原爆の父」が被爆者に謝罪 通訳証言の映像見つかる 広島

 「原爆の父」と呼ばれた米科学者ロバート・オッペンハイマー博士が終戦後、米国で面会した被爆者らに「涙を流して謝った」と、立ち会った通訳の女性が証言する映像が見つかったことが21日、広島市のNPO法人への取材で分かった。  原爆投下に関し、オッペンハイマー氏が公式に謝

被爆80年へ「核廃絶を」 日本被団協が定期総会
2024.06.20

被爆80年へ「核廃絶を」 日本被団協が定期総会

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は20日、東京都内で定期総会を開催し、今年度の運動方針を決めた。 来年が被爆から80年となることから、「原爆被害者への国家補償」と「核兵器廃絶」の実現に向けた取り組みを検討するなどとした。 総会では特別決議も採択。ロシアによ

長崎「被爆体験者」救済求め署名 8月9日の首相面会に合わせ
2024.06.20

長崎「被爆体験者」救済求め署名 8月9日の首相面会に合わせ

 国の援護区域外で長崎原爆に遭い被爆者と認められていない「被爆体験者」が、8月9日の原爆の日に岸田文雄首相と面会する方向で調整が進んでいるのを踏まえ、長崎県保険医協会は20日、首相に被爆者認定を求める署名を始めた。全国から募り、8月9日の提出を目指している。 長崎市で記者会見した

オッペンハイマー博士が被爆者に謝罪と証言
2024.06.20

オッペンハイマー博士が被爆者に謝罪と証言

 故ロバート・オッペンハイマー博士が被爆者と面会した際、「涙を流して謝った」と立ち会った通訳が証言する映像が広島市で見つかったことが20日、同市のNPO法人への取材で分かった。

【特集】原爆でやけどした左足を武器に 広島サッカーの礎を築いた元日本代表選手 教え子に託したサッカーと平和への思いとは
2024.06.19

【特集】原爆でやけどした左足を武器に 広島サッカーの礎を築いた元日本代表選手 教え子に託したサッカーと平和への思いとは

先日、広島で開催されたサッカー日本代表戦を、特別な思いで見つめた人がいます。広島サッカーの礎を築き、日本代表・森保一監督の育ての親でもある今西和男さんです。被爆者でもある今西さんは、今回の代表戦に何を思ったのでしょうか。今西さんは、日本代表選手としてアジア大会に出場。国際大会で活

黒い雨訴訟 新たに5人が提訴 被爆者手帳の交付求める 広島
2024.06.18

黒い雨訴訟 新たに5人が提訴 被爆者手帳の交付求める 広島

原爆投下後に降ったいわゆる「黒い雨」をめぐり、新たに5人が広島地裁に追加提訴しました。原爆投下直後に降った黒い雨をめぐっては、2022年に導入された新たな認定基準でも被爆者手帳が交付されないとして、これまでに41人が提訴しています。18日、広島地裁で行われた裁判では

日本渡航が「怖くて諦めた」 在韓被爆者、支援の申請もできぬまま
2024.06.15

日本渡航が「怖くて諦めた」 在韓被爆者、支援の申請もできぬまま

 米国による原爆投下から79年がたとうとしている今も被爆者と認められない人が韓国にいる。広島では日本の植民地だった朝鮮半島から徴用された人たちが被爆。帰国後、被爆者健康手帳取得には国境や証人など高いハードルが立ちはだかり、未取得のまま亡くなった人も多い。2023年12月、韓国を訪ね、彼らの思い

「明日死ぬとしても手帳がほしい」 在韓被爆者に「証明」の壁
2024.06.15

「明日死ぬとしても手帳がほしい」 在韓被爆者に「証明」の壁

 「今日、明日に死ぬとしても手帳がほしい」。米国による原爆投下から79年がたとうとしている今も被爆者と認められない人が韓国にいる。広島では日本の植民地だった朝鮮半島から徴用された人たちが被爆。帰国後、被爆者健康手帳取得には国境や証人など高いハードルが立ちはだかり、未取得のまま亡くなった人も多い

戦争や原爆の悲惨さ伝える 長内美那子さん、山口果林さん 沖永良部で朗読会
2024.06.12

戦争や原爆の悲惨さ伝える 長内美那子さん、山口果林さん 沖永良部で朗読会

 女優の長内美那子さんと山口果林さんによる朗読会「いのちを見つめた言葉たちーヒロシマ・ナガサキ 一九四五年」が9日、鹿児島県沖永良部島の和泊町立和泊中学校あかね文化ホールであった。広島・長崎の被爆者とその家族らの証言や手記、詩を交互に朗読。親子連れなど来場者150人に、戦争と原爆の悲惨さを伝え

「反核9の日座り込み」500回、被爆者も若者もつなぐ45年「自分の平和のためにやる」
2024.06.11

「反核9の日座り込み」500回、被爆者も若者もつなぐ45年「自分の平和のためにやる」

 真夏も、真冬も、変わることなく45年。被爆者らが1979年から長崎市の平和祈念像前で続けてきた「反核9の日座り込み」。被爆者の平均年齢が85歳を超える中、活動は若者に広がりつながれてきた。500回目を迎えた9日。参加者は次々とマイクを握り、自らの言葉で平和への思いを語った。核がなくなるその日

長崎市の「反核座り込み」500回目…45年継続「核廃絶の思い受け継がれてきたことは感慨深い」
2024.06.11

長崎市の「反核座り込み」500回目…45年継続「核廃絶の思い受け継がれてきたことは感慨深い」

 長崎原爆の日(8月9日)に合わせて、被爆者らが長崎市の平和公園で毎月行っている「反核9の日座り込み」が9日、500回目を迎えた。45年間続く平和活動で、節目の今回は普段の4倍以上となる約420人が参加した。 原子力船「むつ」の佐世保港入港をきっかけに、1979年3月16日、長崎