大工の力で復興支援 仮設住宅建設に従事 「役に立ててありがたい」/兵庫・丹波篠山市

AI要約

西家幸男さん(52)と小林俊文さん(45)は能登半島地震で被災した石川県輪島市や珠洲市で応急仮設住宅の建設に従事し、地元住民と交流しながら復興を支援した。

西家さんはボランティアとして過去にも被災地での仮設住宅建設に携わり、全国から集った大工たちと協力して活動した経験から、共感と達成感を感じている。

二人は帰還後も能登の復興状況に思いを馳せ、災害時には地域コミュニケーションが重要であるとの考えを示している。

大工の力で復興支援 仮設住宅建設に従事 「役に立ててありがたい」/兵庫・丹波篠山市

 兵庫県丹波篠山市内で工務店を営む西家幸男さん(52)と小林俊文さん(45)が4―6月、能登半島地震で甚大な被害が出た石川県輪島市や珠洲市に入り、応急仮設住宅の建設に従事した。一般社団法人「全国木造建設事業協会」の呼びかけに応じて全国から集った大工と共に作業。技術を生かして復興を支えた二人は、「まだ倒れたままの家がたくさんあり、復興は進んでいない」としながら、「職業的にできることがある。目に見えて役に立てることがありがたい」と感謝している。

 要請を受けた「兵庫土建一般労働組合篠山支部」の組合員として参加。4月1日から能登に入り、時折、丹波に戻る以外はほぼ現地で生活し、作業に従事した。

 直近は同県七尾市に滞在し、輪島や珠洲で作業をしては拠点に戻るという忙しい日々を送った。これまでに、計170世帯分ほどを手がけたという。

 現場や自衛隊の仮設風呂などで住民と交流する場面もあり、「ご苦労さまです」「ありがとう」と感謝される一方で、「1階にいた家族が亡くなったが、自分は2階にいて助かった」などと被災時の体験を語る人もいたという。

 「助かったんやから頑張って生きていかなあかんなあ」などとエールを返した西家さんは、「現地の人の中には地震のことを話したい人がたくさんいた。話せて良かった」と話す。

 「大工の技術が復興の役に立てるなら」と、東日本大震災時にはボランティアとして、また、熊本地震時には能登と同様、仮設住宅の建設で被災地に入った。能登について西家さんは、「復旧の速度が遅く感じるし、ボランティアの姿がほとんどない。半島という立地条件や当初の『ボランティアに来ないで』という呼びかけが効き過ぎているのでは」と語る。

 一方で、協会という全国組織の力は感じており、「呼びかけに応じてやってきた大工はみんな思いが一緒。誰も『してやった感』を出す人はいないし、帰る時には達成感のある良い顔をしながら、『役に立てて、貴重な経験になった』『組合に入っていて良かった』と言っている。そんな顔を見るのがうれしい」とほほ笑む。

 6月3日に最大震度5強を観測した際は、半島内を移動中。スマートフォンから響く緊急地震速報に驚いたものの、「右は海、左は山。前後には車。『備える』というけれど、いざ起きると何もできないのが現実だった」と振り返る。

 共に作業を終えて丹波篠山に戻った。

 小林さんは、「全国各地からたくさんの大工が集まっていて、良い経験になった。能登は多くの家が崩れたまま。まだまだこれからだと感じた」と話す。

 西家さんは、「自分たちが作った仮設住宅に電気がつき、人が住んでいる様子を見に、また行きたい。そして、能登が元気になったときにはプライベートで遊びに行きたい」と期待。「丹波でも何か大きな災害が起きれば全国の人にお世話になるかもしれない。受け入れや地元の人がリーダーシップを取らないといけないが、大事なのはコミュニケーション力だと感じている」と話している。