戦争の悲惨さを次の世代へ…大規模な防空壕を公開 語り部が“命の大切さ”を子どもたちへと伝える【山形発】

AI要約

山形市と東根市では終戦の日に様々な行事が行われ、戦争の悲惨さを後世に伝える取り組みが行われた。

東根市神町の若木山防空壕が一般公開され、訪れた子どもたちが真剣に防空壕の歴史を学ぶ姿が見られた。

保存会の武田功会長は、戦争の悲惨さや命の大切さを次の世代に伝えるため、防空壕の公開を続ける意向を示した。

戦争の悲惨さを次の世代へ…大規模な防空壕を公開 語り部が“命の大切さ”を子どもたちへと伝える【山形発】

8月15日は「終戦の日」。山形・東根市では現在も残る大規模な防空壕(ごう)が公開され、訪れた子どもたちが語り部の話に真剣に耳を傾けた。

79回目の終戦の日。山形市では戦没者の遺族など約70人が出席し、平和を願う千年和鐘が打ち鳴らされ、戦没者に黙とうが捧げられた。

戦争の悲惨さを後世に伝えるため、東根市神町東にある「若木山(おさなぎやま)防空壕」が15日、一般公開された。

管理している保存会の武田功会長に案内してもらった。

若木山防空壕保存会・武田功会長:

神町空襲の時は5歳だった。親から敷地内に掘った防空壕に入れられたことは覚えている

神町は1945年に5回にわたり米軍の空襲に見舞われた。若木山には全部で16の防空壕が作られ、そのうち4つが現存している。

天井の高さは2メートル~4メートル、通気口や精密機械を置いていたとみられる部屋などが残っている。神町空襲の際、若木山の防空壕のほとんどは海軍航空隊の基地として使われていて、一部は市民の避難所にもなった。

お盆休みということもあり、15日は家族連れなどが訪れていた。

若木山防空壕保存会・武田功会長:

入り口の前に爆弾が落ちると、入り口が広いと爆風が奥までいく。入り口を狭くして中への衝撃を弱くしている

防空壕は初めてという子どもたちは、当時の話に真剣に耳を傾けていた。

子どもたちからは「初めて入った。思ったより中が広かった」「家とは違う環境ですごく大変。世界で戦争があるが、戦争がなくなって平和になってほしい」といった声が聞かれた。

また、一緒に訪れていた子どもたちの親からも「実際に中を見る機会がなかったので、いい機会でした」「たまたま通りかかって『終戦の日だな』という話を子どもに朝からしていた。防空壕を見られる貴重な機会だったので来てよかった」などの声が聞かれた。

武田会長は、戦争の悲惨さや命の大切さを今後も語り継いでいきたいと考えている。

若木山防空壕保存会・武田功会長:

米軍が神町の飛行場に爆弾を落とした。神町の人にとって戦争の経験はひどかったと思い出す。年をとっているから次の代に残していきたい

防空壕の公開は15日限定で、次は2年後を予定している。

(さくらんぼテレビ)