終戦の日、靖国神社や千鳥ケ淵で追悼 平和願い「思い受け継ぐ」

AI要約

元海軍兵の野崎博さん(97)は終戦の日に靖国神社に参拝し、戦争体験や戦没者の無念を胸に語った。

横浜市の細矢雅久さん(81)は遺骨が眠る千鳥ケ淵戦没者墓苑で慰霊し、戦死したおじの思いを胸に語った。

東京大空襲で被災した女性(91)は戦争の記憶と現在の紛争を重ね合わせ、平和を願った。

終戦の日、靖国神社や千鳥ケ淵で追悼 平和願い「思い受け継ぐ」

 戦後79年の「終戦の日」を迎えた15日、東京の靖国神社や千鳥ケ淵戦没者墓苑では、戦争体験者や遺族らが犠牲者を悼んだ。

 元海軍兵の野崎博さん(97)は、自宅のある東京都荒川区から徒歩で2時間かけて靖国神社に参拝した。1989年から毎年続けており「水も食料もなく死んでいった先輩兵士たちの無念を、自分にあてはめたくて」。

 1945年6月、18歳で海軍に召集され、横須賀基地で訓練中に終戦を迎えた。「国のために」と信じて疑わなかったが、支給された軍服はボロボロ。小銃も足りず、「こんなんじゃ戦争にならない」と上官がこぼすのを聞いた。食料だけは郷里にいる時よりも量が多かったが、「それだけ国民の分を取っていたんだろう」と振り返る。

 戦後、東南アジアなどで撤退しながら餓死した兵士たちを知った。「あと少し早く生まれていれば、自分も同じことになっていたかもしれない」

 世界では、イスラエルによるガザ攻撃や、ロシアのウクライナ侵攻が続く。東アジアでも米国と中国や北朝鮮の間に摩擦がある。野崎さんは、「軍備は必要だが、外交が1番。五輪で競いあうくらいがちょうどいい」と語った。

 「戦死したおじのことを思い、二度と戦争が起きて欲しくないと願いました」。横浜市の細矢雅久さん(81)は身元が特定できない戦没者ら37万の遺骨が眠る千鳥ケ淵戦没者墓苑で手を合わせた。

 おじはニューギニアで戦死した。当時29歳で婚約者を日本に残したままだった。最後の状況はわからず遺骨は戻っていない。細矢さんは10年ほど前から毎年、墓苑を訪れてきた。「誰にも助けてもらえないまま亡くなった1人1人の思いを忘れずに受け継いでいきたい」

 東京都中野区の女性(91)は5年ほど前から毎年、千鳥ケ淵戦没者墓苑に足を運んできた。11歳の時に東京大空襲に遭い、自宅は全焼、おばや友人5人を失った。パレスチナ自治区ガザで子どもたちが傷つく様子をニュースで見ると、空襲の記憶と重なって苦しくなる。「早く戦争が終わり、子どもたちが平和に暮らせるようになってほしい」(平川仁、渡辺洋介)