運動科学の視点から分析……鋭い爪も牙もない10万年前の人類は「身体」をどのように使って生存競争に勝ったのか

AI要約

10万年前の人類は毛皮や鋭い爪、牙などを持たず、厳しい環境下で身一つでサバイバルしていた。

彼らは狩りや生存のために高度な身体と脳の統合性を保ち、最適な筋活動を行っていた。

狩りの際にはバランス能力や観の目、俯瞰視など複雑な認識能力と筋活動が要求されていた。

運動科学の視点から分析……鋭い爪も牙もない10万年前の人類は「身体」をどのように使って生存競争に勝ったのか

野生動物と異なり、人間には寒さから身を守る毛皮も、獲物を狩るための鋭い爪も牙もない。大自然のなか「身一つ」で放置されれば実に「か弱い」存在なのだ。ではなぜ、10万年前の人類は「身一つ」でも生き延びることができたのだろう。厳しい環境下で、人類が身体・脳が高度に統合された「レフパワー」を発揮して活動することができたから……というのが高岡英夫氏(武術家、運動科学者)の見解だ。近著『レフ筋トレ 最高に動ける体をつくる』から著者独自の分析を抜粋して紹介する。

前回の記事は「祖先の生活に思いを馳(は)せてみる」という思考実験を呼びかけたところで終わりました。祖先の生活を考察することがなぜ必要か、その理由を少しおさらいしておきましょう。

10万年前に地球上で生活していた私たちの祖先は、およそ「文明の利器」と呼べるものをまったく持たない「身一つ」の状態で厳しい自然のなかをサバイバルしていました。

厳しい環境下で生き延びるために、彼ら・彼女らはそれとは知らずレフ筋トレを行い、生きていくのに必要となる筋量と筋力、そして脳と身体の最高度の統合性を保っていたと考えられます。唯一の「持ち物」である身体を最高度に使いきらなければ、生きて子孫を残すことができなかったからです。

時代が大きく隔たっていても、私たちと10万年前の祖先の脳と身体の解剖学的な構造と機能は、ほとんど変わりません。にもかかわらず祖先のほうが身体の使い方は優れていたわけですから、「当時の人類がどんな筋活動を行い、どんな生き方をしていたのか」を考えれば、私たちがより高度な身体使いをするために必要な条件が見えてくるに違いありません。

たとえば、10万年前の人類が行っていたであろう「狩り」の場面を考えてみましょう。

獲物を仕留めるためには、相手に気づかれないようにどの方向から、どんなルートで向かうべきかを判断せねばなりません。そのためには、多種多様な環境情報(天候、足場の良し悪しなど)を収集して策を練る必要がありました。

岩場など、ともすれば体勢を崩しやすい場所を歩くしかない場合もあったでしょう。そんな場所では、高度なバランス能力を発揮しながら、きわめて巧みでデリケートな身体の使い方が要求されます。

足をかけたところが崩れ始めたのを察知し、体勢を保ったまま即座に次の足場に移動する、などといった、細やかで素早い、それでいて筋力を要する動きも求められたはずです。

獲物は生きている動物ですから常に動いています。そのうえ、脅威が迫っていることを察知したら、あっという間に逃げられてしまいます。逃げてしまうだけならまだしも、ときには致命的な反撃に遭う危険もあったでしょう。だから祖先は、自分の身を隠す遮蔽物を探さねばならなかったに違いありません。

現場の変化に臨機応変に対応するためには、標的となる獲物だけでなく、そのまわりの木や岩、自分が登っていくコースや足場、さらには獲物とともにいるほかの個体の動静など、多様な要素に注意を払いながら、同時に全体を俯瞰(ふかん)する視点も持つ必要がありました。

個別要素に的を絞った「焦点視」を行いながら、ダイナミックに全体を見渡す「俯瞰視」も同時に行う……これは昔の武術の世界で「観の目」といわれた視覚認識法です。「部分を見ながら全体も同時に見ていく」、言い換えると、「木を見て森も見る」ような認知能力が駆使されていたのです。

同時に身体のほうは、高度なバランス調整能力を発揮しながら、手の動きや足の置き方、力の出力具合などを、どの方向に・どのくらいの強さで・どのタイミングで行うか、脳が瞬時に最適解を導き出し、それを身体が実際の筋活動へと変換していたことでしょう。このような複雑な認識と筋活動が、絶えず整合的に行われていたのです。