「苦しみを消そうとせず、抱えて生きよ」 恐山の禅僧が説く、心が軽くなる生き方 必要なのは“立ち止まる時間”

AI要約

永平寺で修行し、恐山菩提寺の院代を務める南直哉さんが、苦しみや生きづらさについて語る『苦しくて切ないすべての人たちへ』が共感を呼んでいる。

南さんは、苦しみを抱えながら生きることの重要性を説き、時代の急速な変化により四苦八苦するビジネスパーソンたちに「立ち止まる時間」や「弱音を吐くこと」の必要性を訴えている。

40~50代の人々が特に茫然としている傾向があり、経験や自信を持ちながらも時代の流れに適応できず、プレッシャーにさらされていると南さんは指摘している。

「苦しみを消そうとせず、抱えて生きよ」 恐山の禅僧が説く、心が軽くなる生き方 必要なのは“立ち止まる時間”

時代の変化が加速度を増すにつれ、生きづらさを抱える人もまた、増え続けています。そんな中、苦しみの渦中にある人にストレートに語りかける『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮社)が共感を集めています。

著者は永平寺で20年修行し、今は青森県にある恐山菩提寺の院代(住職代理)を務める南直哉(じきさい)さん。南さんは、「苦しみを消そうとせず、抱えて生きよ」と説きます。その方法とは、何か。

唯一無二の存在感を放つ禅僧が説く、心の重荷が軽くなる生き方をお届けします。

マルチタスクや目標達成に追われ、休む時間もない働き盛りのビジネスパーソン。時代の波にもまれ、四苦八苦している今こそ「立ち止まる時間」や「弱音を吐くこと」が必要だと南さんは言います。

なぜ、それらが必要なのでしょうか。その目的とは。

【南直哉 JIKISAI MINAMI】

禅僧、恐山菩提寺院代、霊泉寺住職

1958年長野県生まれ。

1984年、出家得度。曹洞宗大本山・永平寺での修行生活を経て、2005年に恐山へ。

2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。

著書に『老師と少年』『恐山 死者のいる場所』(ともに新潮社)、『正法眼蔵 全 新講』(春秋社)など。

最新作『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮社)が発売中。

ここ数年、人と接していて感じるのは、「茫然」としている方が増えたことです。

世の中がすさまじい勢いで進んでいく中、これまでの“文法”が通用しなくなってきているにもかかわらず、それを使わざるを得ない。

もう今までのやり方ではいけないとわかっていながら、何をどうすればいいか考える暇も余裕もない。その切なさがあるのだと思います。

特に、40~50代の働き盛りの人たちにそういった傾向を感じます。

本来であれば、経験を重ね、自信を持ってしかるべき年頃です。しかし時代の流れは、これまでの常識やフレームを粉々に砕きながら進んでいる。その中で、ものすごいプレッシャーにさらされながら生きているのだろうと察します。