戦艦「大和」が空襲受ける映像発見し大きな反響…「平和を理解するには足元の歴史を学ばなければ」

AI要約

太平洋戦争中に米軍機が撮影した全国の空襲映像を次々と発掘し、注目される大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」。平和への思いを伝え続ける塾頭の平田崇英さん(75)の取り組みが紹介される。

塾が発見した大和の初のカラー映像や宇佐市の特攻隊の歴史などを通じて、戦争とは何かを考える必要性が示される。

塾が紹介する空襲映像によって、空襲の体験者が名乗り出て貴重な証言を寄せる様子が描かれる。

 太平洋戦争中に米軍機が撮影した全国の空襲映像を次々と発掘し、注目される大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」。塾頭の平田崇英さん(75)は、かつて特攻隊が配置され、多くの人が戦死した同市から、平和への思いを伝え続ける。

 真っ青な海原に描かれた白い航跡の先に、うっすらと艦影が映し出された。戦争末期に撃沈された、旧日本海軍の戦艦「大和」だ。塾生が米国立公文書館の資料から発見した大和の初のカラー映像で、山口県岩国市の沖で米軍機の空襲を回避する姿などが不鮮明ながら確認できる。5月に塾が主催するイベント「平和ウォーク」で一般公開し、大きな反響を呼んだ。

 塾内では、公開に慎重な意見もあった。「どの艦船にも戦死者はいる。大和だけを特別視することにならないか」。だが、腹は決まっていた。「大和1隻で、航空特攻の全戦死者に匹敵する約3000人が戦死した。多くの犠牲者が出た艦の姿を見てもらうことは、戦争とは何かを考えてもらうために必要だ」

 戦争が終わって3年、寺の長男として生まれた。寺に集う大人たちが口にする戦争体験を耳にして育ったが、戦争は確実に遠いものになっていった。

 地域おこしのため、塾を設立したのは1987年。郷土を勉強する中で主要なテーマとなったのが、特攻隊の基地になった「宇佐海軍航空隊」だった。一帯は何度も空襲を受け、大勢が犠牲になったが、すでに当時、軍用機を守る格納庫「掩体壕」などの遺構を残すだけだった。「私のふるさとは戦場だった。この歴史を風化させてはいけない」。こつこつと調査し、人間爆弾と呼ばれた特攻兵器「桜花」が配備されていた事実も紹介してきた。

 若い塾生の加入で2011年から、米軍が撮影した空襲映像の取り寄せを始めた。最初に入手した映像には、宇佐海軍航空隊が攻撃される様子が映っていた。わずか数十秒だったが、公開すると空襲の体験者が名乗り出て、貴重な証言を寄せてくれた。「生々しい映像には記憶を掘り起こす力がある」