日本の半導体業界の焦点「TSMC第3工場」は熊本以外へ

AI要約

台湾TSMCは日本で2つの工場建設を進める中、第3工場の立地問題が浮上している。熊本以外の候補地が挙がり、理系名門大学の近くで人材育成が重視されることが明らかになっている。

候補地はつくば市、大阪、京都、名古屋、宮城などが挙げられており、主に研究者レベルの技術力が重要視されている。

今後、複数の都市が第3工場誘致を巡って競争することが予想され、政治的動機も絡んで検討が進められる。

日本の半導体業界の焦点「TSMC第3工場」は熊本以外へ

米中対立で今や「硝煙なき戦場」と化したハイテクセクター。アメリカや日本の安全保障を考慮した産業政策が、企業経営のチャンスにもリスクにもなっている。そこには当然、世界中の投資家の熱い視線も注がれる。本連載では、地政学リスクの高まる世界における利害対立の最前線を追っていく。

半導体受託製造(ファウンドリー)の世界最大手、台湾TSMC( TSM )は日本で2つの工場建設を進めている。これらに加え、検討が進みつつあるのが3つ目の工場である。この第3工場の立地が、熊本県以外で検討されることが、台湾と日本双方の政策関係者が匿名で明らかにした。

なぜ熊本ではないのか。候補地の条件とは何なのか。台湾側が言及する3つの地名とともに、深層を伝える。

■熊本県知事に「ゼロ回答」

「第3工場の建設検討をお願いした」。8月下旬、熊本県の木村敬知事は台湾・新竹のTSMC本社前で記者団に語った。TSMCの経営幹部に会った直後のことである。幹部との面会は和やかに進み、年初に就任したばかりの木村知事にとって晴れがましい「初外遊」だったようだ。しかし肝心の第3工場の展望については、TSMC側はほとんど「ゼロ回答」だった。

TSMCは日本で2つの工場計画を進めている。いずれもソニーグループ(6758)とデンソー(6902)、トヨタ自動車(7203)との合弁企業JASMが運営主体で、熊本県菊陽町のソニーの半導体工場そばに位置する。第1工場は建設済みで、今年末に量産段階を迎える。第2工場も今年末に着工し、2027年末の稼働が見込まれる。2つの工場の総投資額は約3兆円に上り、日本政府からは最大1兆2000億円の補助金が得られる予定だ。

TSMCの進出がもたらす地域への経済効果はすさまじい。九州経済調査協会の試算では、第1工場だけで熊本県下に1万人以上の雇用を創出するなど、6.85兆円の経済効果があるという。

これに加えて27年には第2工場もできるわけだから、周辺一帯の工業用地は日台のサプライヤー企業の間で奪い合いになっている。マンションやホテルの建設計画も次々と浮上し、「シリコンバブル」の様相である。

■経済大臣が指摘した「深刻問題」

TSMCは元々、「ギガファブ」と名付けた巨大工場を台湾の新竹や台南に集中して建設してきた。半導体は装置型産業であり、1カ所での生産規模を大きくしたほうが利益を生みやすい。周辺にサプライヤー集積が進むのもまた、生産効率を改善させる効果がある。

この産業原理を踏まえれば、台湾と同様に熊本にもさらなる工場の集積が進むはず、と地元が期待するのは当然のことだ。TSMCの魏哲家会長兼CEOが今年6月、熊本での第3工場建設の可能性を問われた際、「第1と第2をしっかりやってから、将来の拡張を考える」と答えたことも期待をいっそうかきたてる。

ただこの期待は、期待のままに終わる公算が高まっているのが現状だ。

■「渋滞は改善されましたか?」

8月、熊本県出馬の国会議員が台湾の郭智輝経済部長(日本の経済産業大臣に相当)に会った際、知事と同様に次なる工場を誘致する意向を示したところ、経済部長はにこやかながらもド直球に「熊本の問題点」を指摘してきたという。

「以前から問題になっている道路の渋滞は改善されましたか?第1工場ができただけでこんなに混雑するのでは、この先どうなることでしょうか」

現地では元々、通勤時の渋滞が問題だった。それがTSMCの工場建設が進むにつれ深刻化し、最近は付近の幹線道路から工場に入るだけで1時間もかかることがある。半導体政策に関わる台湾の高官は、「第2ができたら、通勤時間は2時間、3時間にもなるのではないか。工場の生産性にも関わり、第3の前向きな検討は到底できる状況ではない」と語る。

だが仮に渋滞問題が地元の努力で大きく緩和されても、それはマイナス要素が減った程度にすぎない。第3工場の立地先に熊本以外の都市が浮上している根本理由は、別の点にある。それは「人材」の問題である。

TSMCの人材需要を満たすため、地域では産官学での人材育成の機運が高まっている。熊本大学は工学部には「半導体デバイス工学課程」が開設された。こういった取り組み自体は、TSMCと台湾政府から好感されている。特に同様に工場を新たに建設するアメリカ・アリゾナ州で、工場ができる前から労働問題に直面していることと比べると、「日本は官民挙げて協力的だ」と台湾側は受け止めている。

■欲しいのは「量産型人材」ではない

だが残念ながら、第3工場が求めている人材は、こういった量産型のアプローチで育成できる類のものではない。台湾の半導体政策関係者は、こう指摘する。「第3工場が必要とするのは、大学の研究者レベルの人材だ。だから立地は、理系の名門大学が近くにあることが重視される」。

TSMCが第3工場の建設を正式に決定するのは、2027年ごろになる見通し。TSMCとしてはまだ「白紙」というのが投資家やメディアに対する姿勢だ。だが実のところ、「建設するなら先端プロセスラインとする前提」(台湾政府関係者)で、立地を含むフィジビリティスタディが水面下で進められている。具体的には回路線幅3ナノメートル以下のラインとなる見通しだ。

半導体工場では、回路線幅の数値が小さくなるほど先端的であり、技術難度が高くなる。TSMCはすでに台湾で3ナノラインを稼働させ、その先の2ナノも建設中だ。TSMCにとっては日本で3ナノラインを作ることは自社最先端ではないが、それでも熊本の工場が6~40ナノであることと比べれば技術難度は格段に高くなる。

台湾で先端ラインを立ち上げる際、TSMCの技術的なブレークスルーを助けてきたのが名門大学の教授陣だ。現地経済誌の記者は、「TSMCは自社の研究開発や経営マネジメントにおいて必要に応じて、台湾大学や国立陽明交通大学といった名門大学の教授陣を“借りる”ことがある」と話す。

例えば台湾で3ナノラインを初めて作った際には、台湾大学の教授陣が台南の建設サイトにまで赴き、さまざまな技術的問題の解決策を探った。現在も台湾大学とは、3ナノ以下の製造に必要な新素材や成膜技術に関する研究を共同のリサーチセンターで行っている。特定の大学以外でも、TSMCは具体的に研究課題を挙げたうえで、公募型で産学連携を行っている。

アメリカや日本ではかつて、電機や化学の大手メーカーが中央研究所を持ち、足元のビジネスに必ずしも直結しない先端領域を研究していた。この企業の中央研究所に相当するような「頭脳」の役割を、TSMCは大学の優れた研究者に求めているといえる。

その視点に立てば、日本での次なる工場の立地が「理系の名門大学に近いこと」が条件になるのが理解できる。そして、アジア最大のノーベル賞受賞研究者の輩出国である日本には、自社にとって有用な頭脳が多数ありそうだとも考えている。

■浮上する3つの候補地

こういった事情から今、台湾の半導体政策関係者から漏れ聞こえる「第3工場の候補地」は以下の3つだ。

1つ目は茨城県、特につくば市だ。つくば市には言うまでもなく、筑波大学があるが、それ以上に東京大学、東京工業大学といった首都圏の研究者が足を運びやすい立地として注目されているという。当初、TSMCと台湾政府は横浜に関心を持ったが、横浜には大型の半導体工場を建設する土地が乏しいことがネックとなった。つくばなど茨城であれば、首都圏でも工業用地が比較的潤沢であると見込まれている。

ちなみにTSMCはすでにつくばで、国立研究開発法人・産業技術総合研究所の中に3D半導体の研究センターを構えている。センターでは、半導体基板の大型化や、電力効率が高い新材料の開発などが進められている。

2つ目の候補地は京都府だ。関西の都市でいえば、大阪府が第3工場候補地になりうるという観測が出ている。その観測を招くのは、TSMCが大阪にIP(知的財産)を取り扱う「デザインセンター」を開設(大阪市中央区)していることだ。センター長の安井卓也氏は「近い将来、3ナノプロセス以下の設計技術を手掛ける」と話していると伝えられている。

だが大阪より京都のほうが、研究者のレベルという点では魅力的なのは言うまでもないだろう。京都大学は日本で最も多数のノーベル賞受賞研究者を生み出している大学だ。京セラ(6971)、島津製作所(7701)、村田製作所(6981)といった日本を代表する電子関連メーカーが地元に多いこともあり、京都は産学間の交流が盛んな都市でもある。

もうひとつの候補地は名古屋市である。名古屋大学では、ノーベルの物理学賞を受賞した天野浩教授が、未来エレクトロニクス集積研究センターのトップを務めている。また名古屋はトヨタ自動車の本拠地である豊田市にもほど近い。3ナノ以下の先端半導体は車載ではなく、主にAIサーバーのような高性能コンピューティングに使われるのだが、自動車とエレクトロニクスの融合が急速に進む中、世界最大の自動車メーカーがあることはTSMCにとって魅力ではある。

意外にも名前が挙がっていないのが宮城県だ。仙台の東北大学は、半導体関連の研究力では高い評価を集めている。東北大国際集積エレクトロニクス研究開発センターのセンター長を務める遠藤哲郎教授は、半導体の消費電力を大幅に低減する「スピントロニクス」の研究者として世界的に著名だ。

一方で、やや冗談交じりに言及されているのが北海道。北海道大学への評価というよりも、「ラピダスの経営が仮にうまくいかなかった場合、TSMCが千歳市の工場を引き継げばよいのでは」と半導体政策に関わる台湾の政府高官は言う。現時点ではブラックジョークのようなものだが、実はこの「説」は日本の半導体業界でもひそかにささやかれているものだ。

■ハイテク戦争の実態は頭脳戦争

TSMCの工場は日本だけでなく、アメリカと欧州も同様に巨額補助金を支出して誘致している。各国政府がTSMCの工場を欲しがるのは、米中対立を軸としたハイテク戦争時代において、半導体は必要不可欠な「国家戦略物資」であるという理解があるためだ。TSMCの量産工場を中心とする半導体のサプライチェーンを自国内に持てば、有事の備えになると日米欧の政府は考えている。

一方でこのハイテク戦争をTSMCと台湾政府の目から見れば、恐らく「頭脳戦争」に見えていることだろう。中国との地政学的緊張に揺れる台湾にとって、TSMCは今や「シリコン・シールド」となっているといわれる。世界最大かつ最先端のTSMCの工場がストップすれば、世界経済は甚大な打撃を受ける。TSMCがあることで台湾は中国の軍事行動から守られる、という認識だ。

TSMCがシリコン・シールドであり続け、ひいては台湾という小さな島国が大国のパワーゲームにおける「チョークポイント」(戦略的に極めて重要な地点)であり続けるために、TSMCはこれからも半導体技術の最先端を走り続ける必要があるのだ。これはもちろん、インテル( INTC )とサムスン電子という競合企業をつねに引き離し続けるうえでも意味がある。そのために、サイエンス研究者の頭脳は同社にとって必要不可欠な経営資源であるのだ。

TSMC第3工場の立地については日本側でも、「熊本に引き続き、とはならない」(自民党半導体戦略推進議員連盟に所属する国会議員)という声がある。熊本での絶大な経済効果を目にした以上、他都市にも“配分”せざるをえないという考え方が出てくるわけだ。この政治的動機も交えながら、これから複数の都市が第3工場の誘致にしのぎを削ることになるだろう。

なお、立地を含む第3工場の検討状況について、TSMCの広報担当者からは期日までに回答を得られなかった。

杉本 りうこ/フリージャーナリスト。兵庫県神戸市出身。北海道新聞社記者を経て中国に留学。その後、東洋経済新報社、ダイヤモンド社、NewsPicksを経て2023年12月に独立。

 ※当記事は、証券投資一般に関する情報の提供を目的としたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。