獄中で「人生のどん底」だった私が、NYタイムズの記者になるまで

AI要約

服役中にジャーナリズムの道を志し、大学の授業を受講しながら「ニューヨーク・タイムズ」の記者になるまでの復活劇。

酒瓶を盗んで有罪判決を受けた過去を持つ筆者が、刑務所での生活から一転してジャーナリストとしての才能を開花させる姿。

過去と向き合い、新たな道を歩むことで内なる情熱を発見し、刑務所の厳しい環境から抜け出すまでの過程。

獄中で「人生のどん底」だった私が、NYタイムズの記者になるまで

窃盗罪で服役していた筆者は、ひょんなことから報道記者を志すことに。塀の中から大学のジャーナリズム学を受講し、最終的に米紙「ニューヨーク・タイムズ」の記者として認められるまでを綴った、一度人生を捨てた男の復活劇。

まさか本物の記者になれるとは思ってもみなかった。初めて受講したジャーナリズムの授業で、私以外の生徒たちは地域社会の現場へ取材に出ることができたが、私の選択肢は限られていた。囚人である私が取材できたのは、他の受刑者と看守だけだった。

2010年、当時28歳の私はアルコール依存症で、コカインの常用歴があり、ウィスコンシン州の郡刑務所で1年の刑に服していた。とあるバーに押し入って酒瓶を持ち出し、侵入窃盗罪で有罪判決を受けたのだ。

それは重罪であり、しかるべきタイミングだった。自動車事故、失業、飲酒に絡む逮捕を重ねた人生の成れの果てだ。判決を下した判事から、「人生の無駄遣い」の典型例だと言われた。その通りだった。

獄中生活の最初の数ヵ月は、太陽も夜空も見えなかった。監房の鉄扉の開閉が時計代わりだった。だが刑期も半ばにさしかかると、判事は私に働くか、近隣の大学で昼間の授業を受けるかの選択肢を与えてくれた。

私は地域の清掃員の仕事に就き、監房から出られる喜びを味わった。ある朝、掃除機をかけながら、コーヒーテーブルの上に置かれた「ローリング・ストーン」誌を手に取ると、ページの間から大学のジャーナリズムコンテストのチラシが滑り落ちた。受賞作品は同誌に掲載されるという。参加資格があるのは大学生のみだった。

私はジャーナリズムについて何も知らなかったが、奇妙な感覚にとらわれた。それは、自分に必要であることすら自覚していなかった「何か」をついに見つけたという直感だった。

その日、刑務所の最寄りの大学に入学した。

こうして数週間後、私は学生新聞の記事を書くため、担当の刑務官にインタビューすることになった。私たちはそれまできちんと話を交わしたことがなかった。彼は常に私に対して絶対的な権力を持っていた人物だ。