「人とつながっている、独りじゃない」届いた1通の手紙は東日本大震災の被災者から 1年だけの交換留学のつもりが沖縄に移住 弁当の無償提供で被災者を支援~弁当店経営・城戸理加のターニングポイント~

AI要約

城戸理加さんは、八戸市出身で沖縄で椛弁当を夫婦で経営している。

幼少期は自然豊かな環境で育ち、料理番組を見ることが好きだった。

大学で交換留学の募集を見つけ、沖縄へ行くことで運命の出会いを果たし、結婚・出産を経験した。

「人とつながっている、独りじゃない」届いた1通の手紙は東日本大震災の被災者から 1年だけの交換留学のつもりが沖縄に移住 弁当の無償提供で被災者を支援~弁当店経営・城戸理加のターニングポイント~

県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。

第84回のストーリーは、八戸市出身の城戸理加(きど・りか)さん。

沖縄那覇市にある沖縄の食材と青森の果物や山菜などを使用した弁当を販売している『椛(もみじ)弁当』。城戸さんは、その店を夫婦で経営している。

■幼少期は「村中で缶蹴り」 偶然目にとまった大学の掲示板が人生の転機

城戸の幼少期は、旧南郷村の豊かな自然の中で育った。

城戸理加さん

「中学生、高校生ぐらいまでがみんなで村中で缶蹴りしたりとか、田んぼ野球をしたりとか、そういう環境で育ちました」

自分の住んでいた地域はダムに沈み、別の場所へ移動して中学に通った。その頃から、料理番組を見るのが好きだった。

城戸理加さん

「料理番組が非常に好きだったので欠かさずに見ていたんですけど、(料理を通じて)日本のどこかっていうよりは、世界中のいろんな所にいろんな物があるっていうことに興味があったのではないかと思います」

漠然と広い世界を見てみたい気持ちがあふれていた頃、北海道の大学に進学。3回生で卒業する単位を取り置いていた頃、大学の掲示板で交換留学の募集を見つける。

■交換留学で沖縄へ “1年”のつもりが移住することになった運命の出会い

城戸理加さん

「大学で(掲示板を)パッと見たら、交換留学がありますと。私の学部は(留学先が)沖縄だったんですよ。申し込み期限も3日ぐらい過ぎていて、先生のところにいって『これ受けたいんですけど、また受けられます?』って言ったら『まだ誰も応募者がいないから受けられるよ』と言われて受かって、沖縄に来たんです。4年のときに」

1年で帰るつもりだった沖縄で選挙のアルバイトをした時に、後に城戸さんの夫となる伸一郎さんと出会い、結婚。そして出産を経験した。

城戸理加さん

「すぐ子どもが生まれ、夫は元々運送業をしていたので、育てながら運送業を手伝っていました」

そのうち、伸一郎さんが元々やりたかった飲食業を始めることになったが、当初、理加さんは違う仕事を続けていた。