生まれつきの心臓病のほかにいくつもの難病と闘いながら「命を輝かせよう!」とチャレンジを続ける15歳。娘の命への母の思い【体験談】

AI要約

果歩さんは重い心臓疾患や他の病気を抱えながらも、チャレンジ精神を持ち、多くの困難に立ち向かってきた。

母親の裕美さんとともに「命を輝かせよう!」と決意し、さまざまな活動やダンスに取り組む中で奇跡を起こす。

果歩さんはダンスを通じて自己表現を楽しむようになり、ステージでのパフォーマンスで周囲を感動させる姿が光っている。

生まれつきの心臓病のほかにいくつもの難病と闘いながら「命を輝かせよう!」とチャレンジを続ける15歳。娘の命への母の思い【体験談】

神奈川県に住む重宗裕美さんは、夫の信二さんと2人の子どもとの4人暮らし。長女の果歩さん(15歳)は生まれつきの心臓病のほかにも、慢性心不全やたんぱく漏出性胃腸症といったいくつもの病気をもっています。10歳のときに「5年後の姿は想像できない」と宣告された果歩さん。そのときから「命を輝かせよう!」とさまざまなチャレンジをするように。現在15歳の果歩さんは入退院を繰り返しながら学校にも通っています。裕美さんに果歩さんのチャレンジについて聞きました。

全3回のインタビューの3回目です。

生まれつき左心低形成(さしんていけいせい)という心臓の病気を持って生まれた果歩さん。1歳半までに3回の大きな手術を受けましたが、2歳ごろに慢性心不全(まんせいしんふぜん)を発症、8歳ごろにはたんぱく漏出性胃腸症(たんぱくろうしゅつせいいちょうしょう)という病気も発症し、数えきれないほど入退院を繰り返しながら生活してきました。心臓に負担をかけないために、幼いころから水分や食べ物を制限し、感染症にかからないように外出も控える生活でした。

「8歳で発症したたんぱく漏出性胃腸症の症状は見ているだけでも苦しいものでした。果歩は入院して点滴をすると元気になり、退院すると下痢と嘔吐(おうと)が続き、徐々に全身がむくんでいきぐったりする、という状態が続いていました。

2年ほどそんな生活を続けた10歳のころ、医師からは『5年後、10年後の姿は想像できません』と言われました。こんなに我慢させて苦しい思いをさせて、一体なんのために治療を頑張っているんだろうと考え、果歩と話しました。そして『寝込んでいたら命がもったいない。命を輝かせよう!』『これからは果歩のやりたいことを全部やろう』と2人で決意しました。それから少しずつ果歩が興味を持ったことをなんでもチャレンジすることにしたんです」(裕美さん)

そんなとき、裕美さんは「心魂プロジェクト」のことを知りました。「心魂プロジェクト」は、劇団四季、宝塚歌劇団出身の俳優が2014年に立ち上げたNPO法人で、難病の子どもや障害児にパフォーマンスを届ける活動をしています。この「心魂プロジェクト」との出会いが、果歩さんに変化をもたらします。

「私は結婚前に劇団関係の仕事をした経験もあったので、果歩に何かチャレンジしてほしいと思い、果歩が小学校4年生になったころに家族で『心魂プロジェクト』に参加することにしました。果歩の闘病で私自身も悶々(もんもん)と苦しんでいたので、心魂の社会人パフォーマーの講座を受けて、寝込む果歩を看病しながらダンスを一生懸命練習していたんです。ライオンキングの『愛を感じて』という曲に合わせて、愛を届けることを表現するダンスです。それを見た果歩が『私にも教えて』と。

ダンスがとても楽しかったらしく、それから果歩は、毎日体を起こして踊るようになりました。驚くことに、それからは嘔吐がなくなり、ずっと寝込むこともなくなったんです。激しい下痢や入院は変わらずでしたが、寝込んでいた生活から脱出しました。奇跡を起こしたと思いました。娘の姿を見て、心を元気にすることが何よりも大事なんだ、と確信しました」(裕美さん)

果歩さんは、裕美さんと自宅でダンスにチャレンジしたことがきっかけで、ダンスで表現することが大好きになりました。

「果歩は学校での音楽の授業もほぼ経験がなく、歌った経験もほとんどなく、教室でクラスメートの前に立つだけで泣いていた子でした。それが、心魂プロジェクトのステージに立つことを目標に、ダンスや歌の練習を積み重ねながら、入院治療にも耐えるようになりました。

あるときの公演で、果歩がソロで『愛を感じて』を踊ったことがありました。集まってくれた病児・障害児とその家族に向けて果歩が踊り始めると、会場の空気が一気に変わり、観客の皆さんが感動してくれているのを肌で感じました。にこにこと満面の笑みでパフォーマンスする果歩の姿は、本当にキラキラと輝いて見えました。人に助けてもうらことばかりの娘が、だれかのために何かを届けることができた瞬間でした」(裕美さん)