ランウエーで和太鼓演奏「エール届けたい」 視覚障害のある富田安紀子さんパリコレ出演へ

AI要約

富田安紀子さんは視覚障害のあるタレントで、和太鼓奏者としても活躍しており、パリコレクションのファッションショーに出演することが決定。障害を乗り越えて自分の姿を発信し、同じような悩みを抱える人へエールを送りたいと意気込む。

幼少期から度重なる手術やいじめ、自殺未遂など過酷な過去を持ちながらも、和太鼓の音色に気持ちを込めて挑戦し続け、パリコレ出演に向けて準備を進めている。

自らの経験を通じて他者の励みになりたいという思いを持ち、夢のランウェーで和太鼓を演奏する姿を通して感謝とエールを届けたいと語る富田さんの決意が伝わってくる。

ランウエーで和太鼓演奏「エール届けたい」 視覚障害のある富田安紀子さんパリコレ出演へ

 視覚障害のある岐阜県大垣市出身のタレントで、和太鼓奏者としても活躍する富田安紀子さん(32)=東京都品川区=が9月、パリコレクションのファッションショーに出演する。東京パラリンピックの開会式で披露した得意の和太鼓を、今度はランウエーで打ち鳴らす予定だ。左目が見えず、かつては障害をきっかけにしたいじめや自殺未遂も経験したが、「障害があるからと暗く生きるのではなく、挑戦を続ける自分の姿を発信して、同じような悩みを抱える人にエールを届けたい」と真っすぐなまなざしで憧れの舞台に挑む。

 タレントのほか、モデルや歌手、講師、ラジオパーソナリティーなど多方面で活動。3月に都内で催されたミスコンテストに出演して和太鼓を演奏したところ、ダイバーシティ(多様性)やサステナブル(持続可能性)を意識するパリコレ出演の打診を受けた。「絶対にだまされていると思って、しばらく(打診のメールを)無視していた」と笑う。

 モデルとしてパリコレは夢の世界。「信じられない気持ち。でも東京パラリンピックの開会式で、自分の境遇を隠さず発信することが誰かの力になると感じた。世界中の人に見てもらえるパリコレは絶好の機会」と期待に胸を膨らませる。

 ランウエーでは、和太鼓を演奏することにこだわった。4歳から習い、現在は山代流の師範。指導者、奏者として活動し、東京パラリンピックのほか、2022年にはアゼルバイジャンを訪れ、日本との国交30周年イベントでばちを振るった。「太鼓は目が見えなくても聞こえる。耳が聞こえなくても感じられる。言葉が通じなくても伝えられる」。伝統の音色に、言葉以上の気持ちを込めるつもりだ。

 夢舞台へ目を輝かせる富田さんだが、幼少期から度重なる過酷な手術を経験し、小学校ではいじめを苦に自殺を図ったこともある。

 病気を発症したのは小学1年生の頃。ノートのマス目から大きくはみ出た文字に違和感を持った教諭の勧めで、眼科を受診した。当初は正しい診断がなされず、なかなか治らないことから病院を転々とし、大阪府内の病院で「ぶどう膜炎」と判明したのは2年以上たってから。失明寸前まで症状は進んでいた。

 眼球に注射針を刺して糸で縫うなど、痛みに耐えながら過酷な手術を何度も重ねた。しかし本当につらかったのは、1年間の盲学校生活を経て、元の小学校に復帰した6年生の時だった。

 左目はほぼ見えず、わずかに見える右目を使い、教室では拡大コピーした教科書を虫眼鏡やルーペで読む生活。同級生は富田さんの姿をまねして笑い、足を引っかけたり無視したりした。勉強も遅れがちになり、家族にも言えず悩んだある日、自分のお腹に包丁を突き立てた。帰宅した母が驚いて病院に搬送。幸い深い傷には至らず「ご飯を作るのを手伝おうとした」と隠し通した。

 いじめっ子とは別の中学に進んだことで、友達もでき、少しずつ自分を取り戻した。「いじめを受けたおかげで、人に優しくなれたし、誰かと話せることがうれしいと感じられる。今では感謝しているくらい」。県内の大学で資格を取得し、介護福祉士として働きながら和太鼓を指導する日々が続いた。

 26歳の頃、コンプレックスのため前髪で隠していた左目に義眼を入れた。久しぶりに両目が開いた顔を鏡で見て、思わずつぶやいた。「かわいい」。人の目を見て話せるようになり、自然体で笑えるようにもなった。自分の経験を伝えることで誰かの役に立ちたいと考えるようになり、タレント活動を開始。2020年に上京して活動を本格化している。

 白内障を併発した右目も弱視で、今も3カ月に一度、広島県の病院に行って治療を受ける。「右目に残された時間も限られている」と富田さん。「後悔はしたくない。目が見えなくても生涯のパートナーである和太鼓とともにランウエーを歩く夢をかなえ、支えてくれる人に感謝を、壁にぶつかっている人にエールを届けたい」