「憎むべきは戦争」 被爆後、米国に敵意を抱いていた女性の思い

AI要約

被爆者である近藤紘子さんが自らの体験や父の活動を通して戦争の愚かさを強調し、子どもたちに平和の大切さを伝える講演を行った。

爆心地から1.1キロ離れた場所で生後8カ月の時に被爆し、幼少期から戦後の救済活動に携わった父の影響を受けて育つ。

米国のテレビ番組で原爆を投下した爆撃機の副操縦士と対面し、戦争ではなく人間こそ憎むべき存在であることを学び、積極的に平和活動を展開する。

「憎むべきは戦争」 被爆後、米国に敵意を抱いていた女性の思い

 広島原爆で被爆した近藤紘子(こうこ)さん(79)=兵庫県三木市=が同県宝塚市立長尾小学校で講演した。生い立ちや被爆者支援に尽くした父のこと、原爆を投下した米国への思いなどを語る中、ひときわ力を込めた言葉があった。「私が本当に憎むべきは戦争だった」。今もなくならない戦争の愚かさを、次の時代を担う子どもたちに伝えたいと思った。

 1945年8月6日朝、近藤さんは生後8カ月で被爆した。爆心地から約1・1キロ。母の腕に抱かれたまま、爆風で倒壊した建物の下敷きになったが、命を取り留めた。

 牧師の父、谷本清さん(故人)は戦後、被爆者の救済や平和運動に尽力した。教会には親を亡くした孤児や熱線で顔や手にやけどを負った若い女性らが訪ねてきて、一緒に遊んだ記憶ある。くしで優しく髪をとかしてくれた「お姉さん」の手にはケロイドが残っていた。「たった1発の爆弾」で、多くの人が不幸になった。米国人に敵意を抱くようにようなった。

 敵がい心が一掃される機会が訪れた。小学5年生の時、父を取り上げた米国のテレビ番組に出演するため家族で渡米。番組収録で対面したのが、原爆を投下した爆撃機の副操縦士だった。彼は「まちが消えていた」と語り、飛行日誌に「神様、私たちは何をしてしまったのか」と記したことを涙をためて明かした。「この人もずっと悩んでいた。憎むべきなのは人間ではない。戦争こそ憎むべきなんだ」。近づいて、そっと手に触れたという。

 その後、近藤さんは米国に留学し大学などで学んだ。40代から本格的に国内外で被爆体験を語るようになり、副操縦士とのエピソードを繰り返し語ってきた。日本で行き場を失った子どもを海外に養子として紹介する「国際養子縁組」の活動も続ける。

 2016年5月、オバマ米大統領(当時)が広島を訪問し「原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性がいた。それは、自分が本当に嫌悪しているのは戦争そのものだと気付いたからだ」と演説した。近藤さんは「この女性が自分のことかどうか分からない。いつか会う機会があれば聞いてみたい」と話した。

 そして最後に「被爆者の願いである世界平和をあなたたちの手に委ねたい。素晴らしい地球を守ってください」と締めくくった。

 近藤さんの講演は9日にあり、広島への修学旅行(9月)を控えた6年生に語りかけた。近藤さんは講演でいつも「世界のあちこちで起きている戦火」が頭から去らないという。この日も、ロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナ自治区ガザ地区でのイスラム組織ハマスとイスラエルの戦闘などを念頭に「どんなことがあっても人が人を殺してはならない。子どもが犠牲になるのはもってのほかだ」と語った。【土居和弘】