11歳で家族と被爆した女性「生きようという気力だけ。火の海を逃げた」 79年前の記憶 

AI要約

原爆で姉を失った経験を持つ語り部が戦争の悲惨さを訴える城陽市平和のつどいが開催された。

被爆経験者が広島での体験を語り、戦争の悲劇を伝えた。

会場ではパネル展示や折り鶴のコーナーなどの平和をテーマにした様々な活動が行われた。

11歳で家族と被爆した女性「生きようという気力だけ。火の海を逃げた」 79年前の記憶 

 戦争の悲惨さや平和の大切さについて考える行事「城陽市平和のつどい」が、京都府城陽市の文化パルク城陽であった。講話で登壇した語り部の女性は、原爆で姉を失った経験から「戦争はいけません」と何度も繰り返した。

 つどいは終戦50年にあたる1995年から毎年市が催しており30回目。6日に行われ、講話では広島で生まれ育ち、小学5年で被爆した榎郷子さん(90)が登壇した。

 榎さんは、爆心地から2キロほど離れた広島市内の自宅で両親と被爆。体中にガラスが刺さり大けがを負った母を乳母車に乗せ、黒く焦げた遺体が横たわる中を父と逃げ惑ったという。「誰も助けてくれない。生きようという気力だけで、たくさんの人が火の海を逃げた」と振り返った。

 朝にそろって笑顔で家を出た2人の姉のうち、2学年上の姉睦子さんは名前を書いた上着だけが見つかった。母は78歳で亡くなるまで「きっと親切な人に助けられているから」と、娘の帰りを待ち続けたことを涙ながらに語った。

 会場では他に、戦争や原爆がテーマのパネル展示やビデオ放映、折り鶴のコーナーがあった。今月末に平和学習で広島市を訪れる小中学生たちも事前学習として参加した。