語られなかった迫害の歴史 ブラジル政府、日系社会への謝罪なるか

AI要約

第2次世界大戦中にブラジルで日系移民が迫害された歴史を踏まえ、政府が謝罪を検討する委員会が開かれる。

日系移民が敵視された背景や強制退去、抗争による被害など、迫害の詳細が明らかになってきている。

日系移民の中には、迫害に対する口を閉ざしてきた者もおり、謝罪が実現すれば彼らにとっても心の癒しとなるだろう。

語られなかった迫害の歴史 ブラジル政府、日系社会への謝罪なるか

 ブラジルで第2次世界大戦中に日系移民が迫害された歴史を巡り、ブラジル政府が25日、公式に謝罪するかどうかを審議する委員会を開く。当事者らは自身の経験を語ってこなかったため、迫害の歴史は日系人の間でもほとんど知られていない。謝罪が決まれば大きな節目となる。

 ブラジルは第2次大戦中、連合国側につき、日本など枢軸国出身の移民が敵視された。サンパウロ近郊の港町サントスでは1943年7月、6500人超の日系移民に対し、24時間以内の退去命令が下された。一方的に「スパイ」の容疑をかけられたためだった。

 ブラジル在住のジャーナリスト深沢正雪さんによると、46年には、日本が太平洋戦争で勝ったと思い込んだ人たちと、敗戦を認めた人たちが抗争を繰り広げ、日本人20人超が死亡した。

 この抗争では殺人の容疑者が逮捕される過程で、無実の罪で投獄された日本人が150人ほどいることが近年明らかになった。また、監獄内では拷問が加えられ、それが元で病気になり死亡した人もいる。

 だが、移民の当事者たちは強制退去事件などの迫害について、口を閉ざしてきた。

 ブラジル沖縄県人会移民研究塾の宮城あきら塾長(86)は「日系移民には、自分たちの抗争がブラジルを混乱に追い込んだという負い目があり、迫害にも口を閉ざしてきた。政府による謝罪が決まれば、被害を受けた移民も少しは浮かばれるだろう」と話す。(サンパウロ=軽部理人)