中国経済に忍び寄る「のろい」とは 伝説の学者が残した警鐘

AI要約

楊小凱氏が提唱した「後発劣位」概念に注目が集まる20年後の中国経済。民間活力を奪う強権的な統治手法の副作用が露呈し、経済立て直しの焦点となる党の重要会議に期待が寄せられている。

経済発展が技術導入や労働力だけでなく、国際秩序に支えられた中国の為政者が党支配路線に逆戻りする中、民間の不安と消費者の失望が深まる中、持続的発展を阻む課題が浮き彫りになっている。

楊氏の「後発劣位」理論や憲政の必要性を強調する向きには、共産党の権力制約は「西側の価値観」とする中国の風潮に対抗心から否定されており、為政者のおごりが真の改革を阻む深刻な状況が問われている。

中国経済に忍び寄る「のろい」とは 伝説の学者が残した警鐘

 停滞する中国経済の先行きが見通せない。そうした中、かつて中国の持続的発展を阻む「のろい」に警鐘を鳴らしたある学者の言葉が没後20年にあたる今日、重みを増している。

 習近平国家主席は、中国共産党が政治、経済、司法などあらゆる分野で絶大な権限を握る発展モデル「中国式現代化」を掲げ、米国に匹敵する超大国となる道筋を描いてきた。ところが、ここに来て強権的な統治手法が民間活力を奪う副作用が露呈している。

 15~18日に北京市で開かれる党の重要会議「第20期中央委員会第3回総会(3中全会)」も経済立て直しの道筋を示せるかが焦点となる。

 ◇持続的発展阻む「後発劣位」

 これまで中国が高度成長を遂げた要因に「後発優位」があるとされる。経済発展が遅れた後発の国は、先進国から技術を導入し、安価な労働力を活用することで、急速な発展ができるという考え方だ。

 これに対し、湖南省出身の経済学者、楊小凱氏(1948~2004年)が00年に提唱したのが「後発劣位」または「後発ののろい」と呼ばれる概念だ。楊氏は「後発国は先進国の技術ばかりを模倣し、制度の革新を怠る傾向がある。それは短期的には効果があっても、やがて国家の利己的な行動を招いて民間経済を圧迫し、長期的発展を阻むリスクとなる」と主張し、政治権力の抑制・均衡を図る憲政体制の重要性を訴えた。

 楊氏はその特異な経歴から「伝説」といわれた人物だ。10代で文化大革命の政治弾圧に巻き込まれ、10年間投獄された。その間、同房の大学教授や技術者から学び、「資本論」を繰り返し読んで知識を磨いた。80年代に渡米すると斬新な経済理論で国際的な評価を受け、ノーベル経済学賞候補とも目された。

 「後発劣位」を巡る楊氏の主張は当時、中国で大きな論争を巻き起こした。政府の立場に近い経済学者は「欧米の憲政体制は、長期的な経済発展に必要な条件ではない」と反発し、国家による経済活動への介入を正当化した。

 ◇「官」が民間の最大脅威に

 残念なことに、楊氏は04年7月7日に55歳でがんで亡くなり、自説を深めることはかなわなかった。一方で中国経済は成長を続けた。共産党指導部は一党支配体制に自信を深め、いつしか「後発劣位」を語る人は少なくなった。

 しかし、楊氏の死から20年を経て、社会・経済の風向きは明らかに変わっている。

 「現在の中国は『後発劣位』の典型と言える」。香港大香港人文社会研究所の陳志武所長(61)はそう指摘する。

 陳氏は楊氏と同じ湖南省出身で、米エール大教授などを歴任した著名な経済学者だ。早くから「後発劣位」の理論に共感し、楊氏の死後も中国の制度改革の必要性を訴えてきた。

 陳氏は次のように分析する。「中国の発展は技術導入や安価な労働力だけで実現したわけではなく、長い年月をかけて西側が築いた国際秩序によって世界中と自由に交易できる環境を享受できたことが大きい。ところが、中国の為政者は経済的『奇跡』が党の指導のたまものだという錯覚を起こしてしまった。その結果、党が一切を管理する路線に逆戻りしようとしている」

 長引く景気の停滞について、陳氏は「民間企業や消費者が安心や自信を失っていることが根本的な原因」であり「政府部門など『官』が私有財産にとって最大の脅威になっている」と懸念を示した。

 実際、近年の予測できない政策変更や規制強化によって民間企業や不動産市況が受けた打撃は深刻だ。消費者には雇用不安や節約志向が広がっている。地方当局が企業や個人の財産権を侵害するような事案が後を絶たず、役所とトラブルを抱えた経営者が拘束される事件さえ起きている。

 富裕層を中心に海外移住者が増えたり、有名実業家が早々に経営から身を引いたりする現象が、後ろ向きな世相を物語っている。「(民間の)不安を取り除くためには、公権力を法律という『おり』に入れる憲政制度が欠かせない」と陳氏は強調した。

 ◇タブー視される強権抑止の「憲政」

 ただ、現在の中国では、共産党の権力を縛る「憲政」や「三権分立」の概念は「西側の価値観」としてタブー視されているのが実情だ。楊氏の「後発劣位」理論をいち早く国内で紹介した改革派の民間シンクタンク「天則経済研究所」は5年前に当局の圧力によって閉鎖に追い込まれた。

 この研究所の設立者の一人だった北京市在住の経済学者、盛洪氏(69)は「法によって権力に制約を設ける憲政の思想は、西側だけのものではない」と述べ、「儒教では、皇帝は万能の存在ではなく、ただの人間であり、『天』に背けばその地位を追われるという考え方がある。このように権力者にも守るべきルールがあるとの思想は東西に共通している」と主張した。

 盛氏があえて中国の伝統思想から「憲政」の必要性を論じるのは、西側へ対抗意識を燃やすあまり、社会の健全な発展に欠かせない制度や価値観まで否定する風潮を危ぶむからだ。「我々が今、強化すべきは権利であって、権力ではない」と盛氏は訴えた。

 ◇3中全会が問う為政者のおごり

 一方で、習指導部にとっても、強権体制と市場経済の複雑なバランスは悩ましい課題のようだ。慣例では昨秋開かれるはずだった3中全会がこの時期にずれ込んだのは、党内の意見集約に時間を要したためとの見方がある。

 3中全会に先立ち、習氏が主宰した党政治局会議でも「政府と市場」「活力と秩序」「発展と安全」など矛盾をはらむ関係を適切に処理するという問題意識が示された。

 国力の増大が為政者のおごりを生み、真に必要な改革を遅らせるという「後発劣位」の深みに、中国ははまろうとしているのか。18日に公表される3中全会の結果はその試金石となり得る。【中国総局長・河津啓介】