難病と向き合った妻の遺歌集出版 人吉球磨の元教師・上田さん

AI要約

長崎県の元教師が妻の一周忌に遺歌集を自費出版。妻が難病を患い、家族との日々をつづる。

妻が難病に侵される前と闘病生活を詠んだ歌が収録されており、家族との穏やかな日々が伝わる。

夫婦で短歌に親しんでいた2人の歌を通して、病気と向き合いながらも支え合った愛が感じられる。

難病と向き合った妻の遺歌集出版 人吉球磨の元教師・上田さん

 人吉球磨の中学校で教壇に立った元教師の上田精一さん(87)=長崎県南島原市在住=が、妻廸子[みちこ]さん(享年84)の一周忌に合わせて遺歌集「のぼたん」を自費出版した。体の自由が利かなくなる難病を患い、懸命に生きた家族との日々がつづられている。

 廸子さんの体に異変が生じたのは75歳過ぎ。わずかな段差でも転倒し、骨折を繰り返した。人吉市での夫婦2人の生活は困難と判断し、南島原市の次女の嫁ぎ先に身を寄せたのが2018年。翌年、指定難病の大脳皮質基底核変性症との診断が下った。その日に詠んだ歌が〈左腕左脚より萎[な]えてゆく難病なれど前向き生きる〉。

 歌集には、15年から、廸子さんが亡くなる23年までの約200首を収めた。病に侵される前の歌〈金婚の宴に子や孫集いたり子ども持ちたる幸しみじみと〉からは家族との穏やかな日々が伝わる。晩年は〈まだかなう右手支えに生きていく寄り添い歩む夫のためにも〉など闘病生活を詠んだ歌も多かった。

 歌集に収められた最後はこの一首。〈夫[つま]と撒きし色とりどりの朝顔の咲くを願いて明日より入院〉。しかしその願いはかなわず、廸子さんは退院を翌日に控えた日の早朝、静かに息を引き取った。

 人吉時代から夫婦で短歌に親しんできた。病と向き合う廸子さんには「生きる支えの一つだったのではないか」と上田さん。歌集は200部を作製し、2人共通の知人、友人らに贈った。非売品。(本田清悟)