「もうすぐ死ぬという最強のカードを手に入れた」森永卓郎が末期がんなのに医師も驚愕する猛烈仕事が可能な訳

AI要約

ステージ4のがん患者が悲願の歌手デビューを果たすためには、ストレスを避けながら好きな仕事を続けることが重要で、そのためには生活環境の整備や幅広い関心を持つことがポイントとなる。

東京を離れて住環境の変化を図ることで、生活コストを抑え、余裕のある老後を実現し、好きなことに没頭できるようになった。

好きな仕事を広く展開することで、チャンスの波に乗ることができ、童話集の出版や歌手デビューなどさまざまな活動を行ってきた。

■ステージ4のがん患者が悲願の歌手デビュー

 振り返ると、私がストレスをためずに好きな仕事を続けてこられた要因は2つあります。

 1つ目が東京を離れたこと。みんなお金を稼げるようになると都心のマンションや一戸建てに住みたがります。でも、生活費や維持費が高いから嫌な仕事をしてストレスをためることになります。老後もコストの高い生活を送るには定年後も働く必要があります。しかも楽しい仕事はお金になりません。年を重ねても、ストレスの多い嫌いな仕事を選ぶのはツラい。それを避けるために、お金を増やそうと危険な「投資」というギャンブルに手を出してしまう。余裕のある老後を夢見てギャンブルをした結果、負けて破産者になってしまっては元も子もありません。

 一方で、私は20代後半で東京から50キロほど離れたトカイナカ(都会と田舎の中間地点)の一軒家で暮らしはじめました。シンクタンクを辞めて年収は半分以下になりましたが、東京に比べて生活コストが劇的に低いので、以前と変わらぬ暮らしを続けられました。それにコロナ禍以降は畑と太陽光発電を始めたので、月10万円もあれば家族全員の生活費がまかなえる。貯蓄したお金をがんの治療費に充てられたし、貯蓄があれば、お金のために嫌な仕事をする必要もなくなり、ストレスなく、好きなことに没頭できます。人生が革命的に変わるんです。

 それは、個々のライフスタイルを豊かにするだけではありません。いまの日本は、東京の大企業と富裕層に富が集中する社会構造になっています。東京を離れることが、そうした構造に抵抗する術にもなりえるのです。

 好きなことをやり続けられた2つ目の理由が、やりたい仕事を1つに絞らずに広く関心を向けたことで、その時々の“チャンスの波”に乗れたから。

 私はテレビやラジオのコメンテーターをしながら、様々なジャンルの書籍の執筆にも挑戦してきました。経済に関するテーマだけではなく、童話作家になりたくて童話も書きためてきましたし、歌人や俳人にもなりたいと思っています。また私はこれまで60年にわたり、ミニカー、グリコのおまけのおもちゃ、空き缶、携帯電話など60種、約12万点を蒐集(しゅうしゅう)してきました。10年前にはコレクションを展示する「B宝館」という私設博物館を開きました。

 どんなことでもあきらめずに続けていれば、チャンスが巡ってくる可能性があるんです。童話集の発売は出版社から断られ続けましたが、『書いてはいけない』が売れたおかげで、最新刊『がん闘病日記』に童話集を収録するというわがままを編集者に許してもらえました。私は歌手になりたいとも思っていました。先日、ニッポン放送開局70周年のイベントで歌手としてデビューを飾りました。いまCDにできないか画策しているところです。