【パリ五輪2024】ブレイキンの頂点に挑む!日本代表・湯浅亜実が語る、戸惑いながら見つけた“オリンピックへの姿勢”

AI要約

日本人女性ブレイカー、湯浅亜実(B-Girl AMI)のストーリー。

幼少期から熱狂的にブレイキンを練習し、技の習得に情熱を注ぐ。

バトルへの参加や独自の練習方法など、彼女のダンスへの熱意。

【パリ五輪2024】ブレイキンの頂点に挑む!日本代表・湯浅亜実が語る、戸惑いながら見つけた“オリンピックへの姿勢”

ニューヨーク発祥のストリートダンスであるブレイキン。DJの流す音楽に合わせて、軽快なステップやアクロバティックな技の入ったダンスを披露し合い対決する。パリオリンピックの新種目となり注目を集めるこの競技だが、世界ランキング16位内に日本人女性が4人も入っているのをご存じだろうか。

日本が強豪国と言われるブレイキンで多くの大会成績を残し、世界の頂点の射程距離にいるのが湯浅亜実だ。

ダンサーネームは「B-Girl AMI」。ステージで見せる挑発的な表情と磨き抜かれたパフォーマンスのなかにある素顔とは。取材オファーに対して返ってきたのは、こんな言葉だった。

「ブレイキンをカルチャーサイドで長くやってきました。オリンピックに対してありのままの心境をお伝えしてよいのであれば、お受けします」。

彼女がダンスを始めたのは6歳のとき。ヒップホップダンスを習っていた姉の影響でレッスンに通い始めた。ブレイキンとの出合いは10歳。いつものクラスの休講時にたまたま参加したのがブレイキンのレッスンで、その魅力の虜になった。彼女の心を震わせた技は「ウィンドミル」。床に背中をつけて風車のように足を回転させるパワームーブで、ブレイキンといえばこの動きを思い浮かべる人も多い代表的な大技だ。

「私もあれがやりたい!」

技の習得を目指す面白さが幼い彼女に刺さり、本格的にスクールに通い始める。

「週に3、4回のレッスン以外にも、毎日のように練習してました。すっごい夢中でやって、いつもあざだらけ」

小さな彼女が個人練習を重ねた場所は、アスファルトの上。

「鏡がなくても、練習ってどこでもできるんです。もちろんあった方がいいけど、未だに鏡がないところでも練習しますよ。

スタジオみたいにきちんとした環境が整っていなくても、家の前の道にダンボールを敷いてひたすら練習してました。アスファルトの上でウィンドミルとかも、あざだらけになりながらすごく楽しくやってましたね。

当時は『B-Boy、B-Girlたるもの、綺麗なフロアがなくてもどこでも踊れるように』っていうカルチャーがあったから、場所を気にせずやる、という感じでしたね。あざだらけでジーンズが履けなくなるんです。固いデニムが触れるのが痛くて、スウェットじゃないと学校に行けないくらい。それでもあざの上をさらに打ちつけながら練習してたから、よっぽど好きだったんだろうと思います」

誰に練習しろと言われたわけでもなく、自主的にやっていたこと。15歳になると、その情熱はダンスバトル参戦に向けられるようになる。

「バトルは東京のクラブなどで開催されて、その場で流れた音楽に合わせて1対1やチーム戦でダンスを披露し合うもの。当時はキッズや女性が少なく、男性ばかりという中でやっていました」

バトルでは異色の存在。15歳の少女には、家族のサポートなしでは没頭し続けることはできなかった。