日本の食卓を支えるダイコン、カブ、ハクサイはどうやって広まった?

AI要約

日本の食卓を支える定番野菜、ダイコン、カブ、ハクサイについて特集。

それぞれの歴史や特徴、栽培の適期について紹介。

日本の食文化や歴史を紐解きながら、野菜の魅力を探る。

日本の食卓を支えるダイコン、カブ、ハクサイはどうやって広まった?

『やさいの時間』8・9月号は、日本の食卓を支える定番野菜、ダイコン、カブ、ハクサイを特集。タネまき、植えつけの適期は8・9月です。「1章 知る」では、それぞれの歴史と、地方品種を詳しく紹介。栽培を始める前に知れば、育てること、食べることが、もっと楽しくなりますよ。一部を抜粋してお届けします。

ダイコンは、生産量、消費量ともに日本が世界で第1位。2013年まで1000年以上も野菜の生産量1位(※)をキープするなど、日本人の食卓に欠かせない野菜です。原産地は地中海沿岸とされ、日本には弥生時代に中国を経て渡来したと伝えられます。『古事記』(712年)には、「おほね」という名称で登場。平安時代までは貴族の高級食材でしたが、徐々に庶民の食材として浸透していきました。 

※ジャガイモを穀物として野菜からは除いた場合

ダイコンが広く栽培された理由の一つが、飢きんに備えるための救荒植物としての役割です。誰もが普通に米を食べられるようになるまで、おなかを満たす食材として重宝されました。NHK連続テレビ小説「おしん」で話題になった「大根めし」は、その代表です。

カブが日本に渡来したのはダイコンより古いとされ、初めて文献に登場したのは『日本書紀』(720年)。持統天皇が五穀を補う作物としてカブを栽培せよ、とおふれを出したと記されています。当時は貴族の高級食材で、主に漬物として食べられていました。

その後は、生育が早いうえに寒さに強く、保存性も優れていることから、飢きんの備えとしても重要な作物に。凶作の兆しがあればすぐにカブのタネをまくのが常識とされ、そのために各地で品種改良が進みました。

冬には毎日のように食卓に上るハクサイですが、じつは今回紹介する3つの野菜のなかでは、いちばんの新顔。日本に渡来した時期に関しては諸説ありますが、最も古い記録は江戸末期。博物学者が日本に持ち込んだタネを栽培し、東京で食べた、と記述されています。 

その後、日本各地で栽培され始めたのは、日清・日露戦争後です。大陸に出向いた兵士がハクサイのおいしさに感動し、タネを持ち帰ったことがきっかけで、全国的に普及したとされています。 

ただし、普通に考えれば、ほかの野菜同様、もっと古い時代に渡来していたとしてもおかしくありません。日本ではもともと同じアブラナ属野菜で非結球の漬け菜類が広く栽培されていました。仮にハクサイが渡来していたとして、タネをとろうとしても漬け菜類と交雑してしまい、結球するハクサイの形を再現できずに絶えてしまったという可能性も否定できません。

教えてくれた人/竹下大学(たけした・だいがく)

品種ナビゲーター。植物・食文化・イノベーションなどの切り口から、情報発信やセミナーなどを開催。日本の野菜・果物の品種、地方野菜などへの造詣も深い。野菜料理を得意とし、カブのオーブン焼きで、味に保守的な妻をカブ好きにしたエピソードも。

●『やさいの時間』2024年8・9月号 育てて、漬けて、季節を楽しむ ダイコン、カブ、ハクサイ「1章 知る」より