骨箱に顔を擦りつけて…震災から7カ月、やっと納骨できた家族も 少しずつ動き出した猛暑下の「能登半島」

AI要約

冬の地震被災から7カ月後、夏になった被災地の様子を報告。

瓦職人の苦労や塩田の復旧、納骨の遅れ、断水の問題などが浮かび上がる。

地域の伝統行事の復活など、復興が進む光も見え始める。

骨箱に顔を擦りつけて…震災から7カ月、やっと納骨できた家族も 少しずつ動き出した猛暑下の「能登半島」

 発災は寒い冬だった。あれから7カ月、季節は移り盛夏となった。地震で家族を失った人にとっては初盆に当たる。猛暑の中、能登半島地震の被災地を歩くと、いまだ震災の爪痕が各所に見られる――。

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 全国的に猛暑日が続く中、被災地・輪島市でも連日のように真夏日が記録された。それでも休むことなく復旧工事は続けなくてはならない。崩れた屋根瓦の修理のため休日返上で工事に当たっている瓦職人は悲鳴を上げる。

「屋根の上はとんでもなく暑い。黒い瓦は太陽光で熱せられていて、靴底が溶けてしまうことがあるほど。どんなに暑さ対策をしても、1時間続けて作業するとフラフラです。ウチは20人の職人がいるんだけど、熱中症で次々と倒れてしまい、今は10人しか稼働できていない状態」(屋根瓦の能登七尾復興情熱センター・久野恭司さん)

 屋根にブルーシートがかけられたままの家はまだ多く、瓦職人不足を補うために県外から応援を受けて対応しているが、猛暑がそれを妨害している格好だ。

 伝統産業の塩づくりも地震で大きな被害を受けた。珠洲市で6代続いた塩田を守ってきた角花洋さんは「たとえ3分の1の収量になってもいいから始めなければと思って」と決意し、ひび割れて傾いた塩田の一部をローラーでならして整備。8月3日には潮まきを始めたという。

 夏になって、ようやく納骨することができた家族もいる。家が倒壊し、各地に嫁いだ娘たちが集まる場所を失ったため、納骨が延び延びになっていたのだ。骨壺を入れた骨箱に顔を擦りつけ、ようやく名残を惜しむことができたのは、震災から7カ月が過ぎた8月1日のことだった。

 猛暑にもかかわらず、いまだに断水が続く地域もある。日差しが照りつける海辺に設置された給水タンクには、今も水を求める住民がやってくる。

 8月13日に行われる珠洲市の伝統行事「砂取節まつり」。参加を心待ちにする人びとは、地震で隆起した砂浜で踊りの練習に勤しむ。50年以上続いたこの行事は、担い手不足で去年を最後に幕を下ろしたが、避難所に集まった人たちの間から「今年も踊ろうよ」という声が上がったのだという。復興が遅々として進まない中で、人びとは少しずつ動き出しているようだ。

撮影・頼光和弘

「週刊新潮」2024年8月15・22日号 掲載