祖父は戦時中、父島・母島にいた…新聞記者が「硫黄島を報じ続ける」意味とは何か

AI要約

ノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』の10刷決定が話題に。民間人の上陸禁止された硫黄島で何が起こったのか、日本兵1万人が消えた理由に迫る。

記者が皇室報道から遺骨収集事業の取材へ。硫黄島戦没者遺骨収集団への派遣を迎える中、異動を命じられるが、時間の制約に悩む。

東京と北海道の地方報道担当としての新たな道が開かれる中、旅立ちと新たな職務に向き合う記者の葛藤。

祖父は戦時中、父島・母島にいた…新聞記者が「硫黄島を報じ続ける」意味とは何か

 なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が10刷決定と話題だ。

 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

 北海道新聞東京支社に配属されれば硫黄島上陸への道が開ける。そう一念発起して道新に入社したのが2007年のことだった。それからあしかけ17年目となる2023年の正月を迎えた僕は、三が日を宮内庁2階の記者室で過ごした。遺骨収集事業を所管する厚労省から始まった僕の東京支社での担当は、東京五輪、国土交通省、農林水産省を経て、2022年3月から皇室報道となっていた。元旦から連日出勤したのは、天皇皇后両陛下が国民から年頭のお祝いを受ける「新年一般参賀」など新春行事の取材やその準備のためだった。

 「皇室記者の年末年始休暇は2月に入ってからですよ」。他社の記者からはそう教わっていた。

 歳末期は、秋篠宮さま、愛子さま、皇后さま、上皇さま、佳子さまの誕生日が続き、年が明けると、元日の新年祝賀の儀を皮切りに、新年一般参賀、講書始の儀、歌会始の儀など皇室の新春行事が続く。ようやく落ち着けるのが2月初旬だ。中旬には、天皇陛下が記者の質問に直接応える、極めて重要な「誕生日会見」がある。従って、遅くともその前日までの約2週間が、息を抜ける期間になる。

 僕にとって、この2週間と奇蹟的に重なったものがあった。令和四年度第四回硫黄島戦没者遺骨収集団の派遣期間だ。期間は(2023年)2月1日から15日までだった。僕は「この日程ならば、硫黄島の土を掘れる」と判断し、半年以上前から、社内外の関係先に3回目の遺骨収集に行けないかと相談をしていた。最大の課題である、関係団体からの「推薦」を得るべく、お願いに回った。最終的に、2021年の前回と同様、小笠原村在住硫黄島旧島民の会が推薦してくれることになった。

 その出発を間近に控えた1月20日。宮内庁の記者室にいた僕は、上司から支社に来るように電話で指示され、虎ノ門の支社に向かった。上司から告げられたのは人事異動についてだった。異動先は北海道後志管内の岩内支局だった。東日本大震災以来、停止が続く北海道電力泊原発の再稼働問題を抱える泊村や、使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定に向けた調査が進む寿都町、神恵内村の両自治体など7町村の報道を担当する支局だった。電気料金の高騰を背景にエネルギー問題への社会的関心は高まりをみせていた。そうした中、北海道のエネルギー基地と言われる地域の報道を担当できるのは記者冥利に尽き、ありがたいことだと思った。

 ただ、残念に思ったのは、東京での残された時間の少なさだ。硫黄島への出発まで10日余りしかなかった。そして硫黄島での遺骨収集を終え、東京に戻ってから岩内支局に引っ越すまでも2週間ほどしかなかった。