最悪この国は「壊滅」する…日本人が意外と知らない、首都直下地震の「怖すぎる被害」

AI要約

1923年に発生した関東大震災は、我が国の災害対策の出発点となった。

M7.9の大地震により、10万5000人の死者・行方不明者を出した。

関東南部では土砂災害や津波による被害も報告された。

東京を襲った大震災では29万棟の住宅が全壊・全焼・流出し、食事時間と重なったため火災被害も拡大した。

首都機能の集中する東京での大地震による影響や想定の詳細には不明な点が多い。

経済機能は日本全体に影響を及ぼし、上場企業や外資系企業、工場の被害が懸念される。

東京の首都機能に大地震が襲来した場合、国政に深刻な障害が生じるだろう。

現代における首都の重要性や経済的影響は100年前よりはるかに大きい。

被害拡大や社会経済システムの損なわれは日本全体に波及する可能性がある。

最悪この国は「壊滅」する…日本人が意外と知らない、首都直下地震の「怖すぎる被害」

2011年3月11日、戦後最大の自然災害となる東日本大震災が発生した。あれから13年、令和6年能登半島地震をはじめ何度も震災が起きている。

もはや誰もが大地震から逃れられない時代、11刷ベストセラーの話題書『首都防衛』では、知らなかったでは絶対にすまされない「最悪の被害想定」が描かれ、また、防災に必要なデータ・対策が1冊にまとまっている。

(※本記事は宮地美陽子『首都防衛』から抜粋・編集したものです)

1923年に発生した関東大震災は、我が国の災害対策の出発点といわれる。M7.9と推定される大地震は、東京や千葉、神奈川、埼玉、山梨で震度6を観測し、死者・行方不明者は約10万5000人に達した。

土曜日の午前11時58分に起きた災禍は、昼食時間と重なって火災による被害も拡大した。東京では竜巻状の火災旋風が生じ、全壊・全焼・流出の住家は約29万棟に上っている。関東南部の山地や丘陵地などには土石流による土砂災害が多発し、三浦半島から伊豆半島東岸に津波が襲来したと伝えられる。

9月1日の「防災の日」の起源となった100年前の大震災は、相模トラフを震源とする海溝型地震で、国家予算が14億円だった時代に被害総額は55億円に達している。阪神・淡路大震災や東日本大震災の被害総額が国家予算比で2割程度だったことを見ても、その被害の大きさがわかるだろう。

では、戦後の焼失と混乱を経て驚異の高成長を遂げた日本の首都が、再び大地震に襲われたらどうなるのか。被害想定の詳細については最終ページをご覧いただきたいが、それは関東大震災とも異なる、成熟都市・東京ならではのダメージも生じると考えられる。

国会や中央省庁といった政治・行政機能が集中する東京に大地震が襲来すれば、首都機能に甚大な影響が生じる。周辺にある議員宿舎や官舎などから地震発生直後に緊急参集することは理論的に可能であるものの、いざ異次元の災害が訪れれば思わぬ障害に阻まれる可能性は捨てきれない。道路寸断や火災の延焼といった被害の拡大も考えられ、首都機能をどこまで保つことができるのかは未知数だ。

当然ながら、首都の経済機能は大きい。日本銀行や主要金融機関の本店が集中し、都内の事業所数は約62万と全国の1割超を占めている。社会経済システムが損なわれることになれば、負の影響は増幅しながら日本全体に広がる。

国土交通省が2019年12月にまとめたデータによると、上場企業の本社所在地は東京が1823社で、全国の5割強を占める。外資系企業は日本国内の7割にあたる約2400社、工場の数は約2万7000所で、就業者は800万人を超える。これだけの機能はもちろん100年前にはなかったものだ。