「年400万本売れる」「工場はなんと6代目」 宮崎で圧倒的支持!エバラでも牙城を崩せない人気焼肉たれ「戸村のたれ」。美味しさの秘密は、地方の中小企業のたゆまぬ努力にあった!

AI要約

たれの販路を広げた経緯について、最初は肉の卸問屋の営業マンが提案し、周囲の人たちが自主的に営業活動を行ったことが挙げられる。

当時は焼肉のたれというバラエティー豊かな調味料がなかったが、消費者に受け入れられて広まり、スーパーマーケット事業に進出するなどして販路を拡大していった。

営業マンを雇わずに広がった「戸村のたれ」の成功は、地域の協力やスーパーとむらの存在、甘い醤油文化への適合などが要因として挙げられる。

「年400万本売れる」「工場はなんと6代目」 宮崎で圧倒的支持!エバラでも牙城を崩せない人気焼肉たれ「戸村のたれ」。美味しさの秘密は、地方の中小企業のたゆまぬ努力にあった!

前回の記事では、「黄金の味」シリーズで知られるエバラでもその牙城を崩せないほど、宮崎県で圧倒的シェアを占める「戸村本店の焼肉のたれ」の味の秘密や、誕生の背景、甘い味付けを好む南九州の甘い醤油文化について取り上げてきた。

 後編となる本記事では、小さな精肉店で売り始めた1杯50円のたれが、いかにして宮崎で広まり、今やアジア圏へ輸出されるまでに至ったのか、販路拡大の裏側を探る。

■販路拡大、でも営業マンはいません

 ―お玉1杯50円から売り始めたたれが、どのように販路を広げていったのでしょうか。

 出入り業者だった肉の卸問屋であるミヤチク(当時は県畜産公社)の営業マンが気に入ってくださり、「これはおいしい、卸先に勧めて売りたい」と提案してくれたのが最初のきっかけです。

 そこでたれを四角い容器に詰めて、当時はラベルもなしでミヤチクに卸すようになりました。ミヤチクの営業マンが「今おいしいたれがあるから販売しないか」と行く先々で案内をかけてくれたようです。

 ―肉の営業マンに提案してもらえるとなると、需要の大きい所を重点的かつ効率的に回れますね。

 そうなんです。Aコープなどに卸していただいて。当時は、今みたいにバラエティー豊かなたれや調味料はなかったんですよね。並んでいるのは醤油や砂糖など、単体ぐらい。そこに加わった焼肉のたれが案外消費者に受け入れていただき、広がっていったようです。

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 ―貴社の公式サイトを見ると「今も営業マンはいません」とありますが、周りの人たちが自主的に営業マンになったんですね。

 そうです。当初はミヤチクだけでしたが、次はフンドーキンなど、いろんな業者さんが売らしてもらえんですかと。その人たちが営業をかけてくれて、さらに広がったという感じです。

 それと「スーパーとむら」の存在も大きいですね。小さなお肉屋さんから始まった店は、1972年に法人化して戸村精肉本店になりました。1984年にはスーパーマーケット事業にも進出して木山に「スーパーとむら」の1号店を出しました(※現在は移転して油津店に)。スーパーを店舗展開していきまして、そうすると扱う品が多いので、いろんな業者が入ってきますよね。