オードリー・タン「反社会的ではなく、社会性を促進するソーシャルメディアを作る方法はたくさんある」

AI要約

オードリー・タンは、台湾の最年少の35歳で政府入りを果たし、効果的なパンデミック対策を行った天才プログラマーである。

彼女は重い病気を克服し、幼い頃から早熟な才能を持っていた。ITの天才として知られており、インターネットを民主化し、世界をより良い場所にするために活動している。

現在は、インターネットの変貌について懸念を表明し、デジタル技術を「善をもたらす力」に再び変えることを目指している。

オードリー・タン「反社会的ではなく、社会性を促進するソーシャルメディアを作る方法はたくさんある」

天才プログラマーとしてビジネス界で活躍し、台湾史上最年少の35歳で入閣後は、迅速かつ効率的なパンデミック対策を講じたことで知られるオードリー・タンが、今年の5月にデジタル担当相を退任した。彼女はいま、新著を引っ提げて世界を巡っている。幸福で包括的な場所という、彼女が理想とするウェブのヴィジョンから、私たちは何を学べるのか。英紙「ガーディアン」がインタビューした。

オードリー・タンの人生のスタートは、決して楽なものではなかった。

ハッカーから台湾の大臣に転身した彼女は、4歳のときに、心臓に開いた穴を塞ぐ大手術を受けなければ、5割の確率で亡くなると宣告された。主治医からは「過度に興奮すれば、いつ命を落としても不思議はない」と告げられたが、手術を受けるまでに8年も待たねばならなかった。

こんな宣告をされたら、自己中心的になり、短い人生を自分のためだけに生きようと思うのが普通かもしれない。だがタンは違った。彼女は驚異的なIQと早熟な思考力を持つ子供だった。「学べることはすべて学び、それを世界と共有しよう」と決意したのだ。

5歳のとき、家族と暮らしていた台北の自宅で、貪るように本を読みはじめた。主に中国の古典文学だ。そして、その物語の独自のバージョンをクラスメイトに話して聞かせた。「物語を語るのが大好きでした。7歳のときには、全校生徒の前で、本から学んだ話を自分なりに面白くアレンジを加えて話していました」

「当時、自分が天才であることに気づいていましたか」と聞くと、タンは首を横に振った。「いいえ、気づいていたのは自分が重病だってことだけです」

タンは6歳までに高等数学を学びはじめ、8歳でテレビゲームのコードを書きはじめたが、パソコンを持っていなかったので、当時は鉛筆と紙を使って書いていたという。何を学ぼうと、それは誰かと共有するためだった。ほどなくして、彼女がITの天才であることが明らかになった。

現在43歳のタンは、インターネットとほぼ同い年だ(1983年1月1日がインターネットの誕生日とされている)。彼女はワールド・ワイド・ウェブ(WWW)と共に成長し、それが彼女の遊び相手だった。10代の頃、タンはインターネットが自分のビジョンを実現するために存在すると信じていた。知識を民主化し、すべてをアクセス可能にし、世界をより良い場所にするために存在すると。

だが、やがてインターネットが変貌し、偽情報をばらまき、デジタル資本主義の創始者たちを桁違いに裕福にし、想像を絶する格差を生み出すさまを目の当たりにした。

「初期のウェブでは、人々が自発的に自己表現をし、コミュニティが形成されていました」とタンは語る。「ですがいまや、ウェブは一元化され、人々が繰り返し欲求を満たすために訪れる少数の独占的なプラットフォームが幅を利かせています」

タンが言及しているのは、X(旧ツイッター)のようなSNSと、多くの人々が閉鎖的なSNS空間に囚われ、そこで自分の偏見を強化している現状だ。「ソーシャルメディアは、アンチ・ソーシャルメディアになってしまいました」とタンは嘆く。

だが、タンにその状況を受け入れる気はない。彼女はデジタル技術をもう一度「善をもたらす力」に変えようと決意している。多様性を尊重し、共通点を通じて私たちを結びつける、人類にとって究極の「傾聴ツール」として。

「反社会的ではなく、社会性を促進するソーシャルメディアを作る方法はたくさんあります。怒りや不満を煽るだけではなく、人々が声を上げ、理解される場所を作ることは可能なのです」