香港返還から27年…習近平がどう言い訳しようと「香港は圧殺された」!妨害、逮捕、統制…いま現地で起きている「不可解な出来事」

AI要約

香港が中国に返還されて27年が経過し、政府は「6つの変化」と「6つの不変」を強調しているが、現実は異なる。

今日、公のデモや追悼イベントが禁止され、民主派の活動が妨害される状況にあり、表現の自由や報道の自由が制限されつつある。

また、海外メディアも香港から撤退する動きが見られ、事態はますます悪化している。

香港返還から27年…習近平がどう言い訳しようと「香港は圧殺された」!妨害、逮捕、統制…いま現地で起きている「不可解な出来事」

香港が中国に返還されてからこの7月1日で27年。この間に、香港政府は「6つの変化」と「6つの不変」があったと言う。

「6つの変化」とは、北京政府の香港経済への支援により、香港が「安定から振興へ」移ったこと、質の高い民主制度の実現、国家安全の保障、ガバナンスの継続的改善、長期的な経済発展、海外交流と国際的影響力の顕著な拡大である。

「6つの不変」とは、 一国二制度、高度な自治、法治とビジネス環境、民主主義と自由、生活スタイルと社会の様式、そして世界の中で発揮される特色だとしている。

しかし、多くの香港人は現実を通して、これらとは異なる感じ方を示している。

香港の人々は、2003年の7月1日のデモ行進に50万人(香港特別行政区の憲法ともいわれる「香港基本法」の第23条で義務づけられている、香港政府自身による国家反逆・分断・扇動・中国政府に対する破壊行為などを禁じる法律の制定に対し、市民は自由と人権が脅かされるとしてデモ行進を敢行し、同法案は撤廃に追い込まれた)、2019年の「逃亡犯条例改定案反対運動」に200万人(警察発表は34万人)と、人数の差はあれ、公然と集団でさまざまな要求を表明できたことを世界は記憶しているだろう。

そのいずれもが、秩序正しく平和的なものだった。群衆の中を救急車が通り過ぎようとすると、モーゼが紅海を渡る如く、そこにいる人々が自然と道を開けた様子を地元や海外メディアは驚きをもって伝えた。

しかし今日、7月1日のデモ行進や、6月4日(天安門事件)のキャンドル・ナイトなど、公の集団的追悼イベントは全て開催されなくなった。

また、これらを主催した2大組織である「支連会(香港市民支援愛国民主運動連合会)」と「民間人権陣線」も解散し、その責任者は次々と逮捕され起訴されている。

現在、香港の議会である立法会の前で、市民の生活に関して訴え、香港政府に「反対」を表明する行動――例えば労働政策やゴミ収集の有料化計画に対して――を組織できるのは、政府寄りの体制派組織だけである。

このような実情を挙げて、当局は「変化はない」、つまり「香港にはまだ『表現の自由』があり」、「政府は民意に耳を傾けている」と喧伝している。

しかし、民主派の人々の活動はしばしば妨害される。実際、今もかろうじて存続している民主党がパーティーを開催しようとすると、6度も「不可抗力の理由」で直前になって頓挫した。香港ジャーナリスト協会が開催しようとしたコンサートや、小規模な書店が主催するトークショーなどはスムーズには進まないことが多く、そうした事例は数え上げればきりがない。

表現の自由といえば報道の自由が思い浮かぶだろう。主な世論を反映していた『りんご日報』『立場新聞』『衆新聞』が相次いで廃刊となり、『りんご日報』と『立場新聞』の責任者は起訴された。その後、伝統的メディアの多様性も次第に希薄となり、その報道も当局の意向に沿ったものになりがちだ。

その一方で、海外メディアも縮小の一途をたどり、香港駐在員の数を減らし、香港事務所を閉鎖した社まである。日本のメディアを例にとると、2010年代にはまだかなりの数の日本のメディアが香港に特派員を常駐させていたが、今では駐在員を置いているメディアは5社ほどだ。香港に事務所を構えていた最後の韓国メディア(聯合ニュース)の記者も少し前に香港から撤退している。

欧米各国のメディアは、香港特派員が取材したニュースについて、「国家安全維持法」違反に問われるのを避けるため、本社が原稿を編集し、別の筆者名で発表するというやり方に変わっている。