自分たちは「いつも被害者」という意識...なぜイスラエルは「正当防衛」と称して、過剰な暴力を選ぶのか?

AI要約

パレスチナ分割案採択後の熾烈な駆け引きの中で、イスラエル建国前後の葛藤を描いた本書。アラブ、ユダヤ、イギリス、国際連合の思惑が交錯し、ユダヤ人国家建設がもたらした影響と矛盾、現代のイスラエルの課題、被包囲意識などを通して、パレスチナ問題の複雑さが浮き彫りになる。

エルサレム特派員が見た、戦場と日常の対比。イスラエルの過剰な暴力の背景や被害者意識のメカニズムに迫る。被害者物語がユダヤとアラブの民をどのように形成し、衝突を助長するのか、考察される。

文中に登場するユダヤとアラブの複雑な関係性を解き明かし、暴力のルーツや理由を探ることで、中東問題への理解が深まる。被害者意識や民族主義、民主主義の重要性が示唆される。

自分たちは「いつも被害者」という意識...なぜイスラエルは「正当防衛」と称して、過剰な暴力を選ぶのか?

1947年11月29日の国連のパレスチナ分割案採択からの約半年間、イスラエル建国前後の熾烈な駆け引きが行われていた。

アラブ、ユダヤ、イギリス、国際連合...。それぞれの思惑が交錯する中で、ユダヤ人国家建設は何をもたらし、何を奪ったのか?

『パリは燃えているか?』の著者陣が史実を元に再構築した名著『[新版]おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流』(KADOKAWA)上巻より、大治朋子氏の解説「分厚い取材が生んだノンフィクションの金字塔」を一部抜粋する。

■イスラエルが抱える課題と「被包囲意識」

本書を「いま」読む意義は何だろうか。

パレスチナ難民問題の長期化は、アラブ諸国の長年にわたる「無関心」や「ご都合主義」と無縁ではないだろう。イスラエル建国当時、アラブ諸国が一枚岩になりきれなかった背景には、現在もパレスチナ支援で一丸となれない彼らの「本質」が潜んでいる。

例えばエジプトは独自の路線を貫く。イスラエルはハマスが支配を始めた2007年からガザを封鎖している。しかしエジプトがガザとの境界をもっと柔軟に開放していたら、ガザの苦境はこれほど深まることはなかった。

エジプトはハマスとの政治的な対立の経緯などから、その扉を開放することはこれからもないだろう。

イスラエルが抱える課題の原点も本書には表れている。ベン・グリオンがトイレット・ペイパーに書いたという建国の宣言文は、「ユダヤ人国家」(下巻152頁)であり、「アラブ人住民が平等かつ完全な市民権をもつ」(下巻153頁)国家でもあり続けると定める。

それは「ユダヤ人の国」という民族主義と、「アラブ人にも平等」にという民主主義の両立を掲げたものだ。だがその実践は容易ではない。

保守化が進む近年のイスラエル政権は、アラビア語を公用語から排除するなど露骨な民族主義に偏重している。イスラエルは、建国の瞬間から根本的な矛盾を抱えて船出した国家なのだ。

毎日新聞のエルサレム特派員だった2014年夏、私は50日間続いたイスラエル軍とハマスの戦闘をガザ側から取材した。

戦闘終盤、イスラエル軍は南部ラファで「トンネル破壊のため」と称して住宅街に1トン爆弾を落とした。現場に急行した私が目にしたのは、瓦礫の山とその狭間にとらわれた人々の無残な姿だった。

会社からの要請もあり、私はその後ガザを出てエルサレムに戻った。車窓から、カフェで楽しげにアイスクリームを食べるユダヤ人の家族連れを見た。

ガザの子どもたちが泣き叫ぶ声がまだ頭から離れない私は、まるで異次元にいるような感覚におそわれた。これがエルサレムの現在の「日常」だ。

私は現地にいた6年半、専門家を訪ね歩いて同じ質問を繰り返した。

「なぜイスラエルは『正当防衛』と称して過剰な暴力を繰り返すのですか」

最も説得力を感じたのは、紛争心理学の研究で世界的に知られるテル・アヴィヴ大学名誉教授のダニエル・バル・タルの答えだった。

「イスラエルのユダヤ人は、自分たちは敵対的な人々に囲まれている、という被害者的な被包囲意識を持っている。パレスチナはアラブ諸国の大軍の一部であり、小さいとも弱いとも思っていない。自分たちこそがアラブの憎悪の海に浮かぶ孤島だと感じている」

この意識は東欧からロシア、そしてナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と脈々と続いた差別と迫害の歴史の中で、ユダヤの民の「血となり肉となってきたもの」だという。

そして自分たちは「いつも被害者だ」という意識が「正当防衛」としての暴力をエスカレートさせていくというのだ。

被害者意識は個人のアイデンティティに組み込まれ、やがてそれは集団的なアイデンティティを形成する。それが被害者物語となって社会全体を動かして行くのかもしれない。

ハマスによる攻撃が近年、残虐性を増す背景にもこうした被害者物語が生み出す暴力のメカニズムが潜んでいるように思える。

本書はユダヤとアラブの民が抱える被害者意識の源流と本質を理解するうえでも大いに示唆に富む。