「グラウンドはサッカー部と折半」「ジャージは皆バラバラ」“普通の県立高”がナゼ高校陸上界の頂点に?…22年前にあった「もうひとつの大社旋風」

AI要約

島根代表の大社が陸上競技部で22年前にインターハイ総合優勝を果たした快挙を振り返る。

当時の大社は普通の県立高として、体育科に少数の選手しかおらず、強豪校とは異なる環境で活動していた。

それでも個人種目やリレーで多くの得点を獲得し、全国の強豪校を差し置いて優勝するという驚異の偉業を達成した。

「グラウンドはサッカー部と折半」「ジャージは皆バラバラ」“普通の県立高”がナゼ高校陸上界の頂点に?…22年前にあった「もうひとつの大社旋風」

 今夏の甲子園で、大躍進を果たしたのが島根代表の大社だった。“旋風”とも称されたベスト8進出だったが、実は他競技では以前にも「奇跡の大躍進」を果たしたケースがある。22年前、大社の陸上競技部はインターハイで男子総合優勝という快挙を成し遂げた。「普通の県立高」が起こしたミラクルのウラには、一体なにがあったのだろうか? 《全3回の1回目/つづきを読む》

「やっぱりスポーツの力って凄いなと思いましたよ」

 岡先聖太は今夏の甲子園で母校が起こした“旋風”を、そんな風に眺めていた。

 京都国際の初優勝で幕を閉じた甲子園で、戦前の予想を裏切る大躍進を果たしたのが島根の大社だった。

 1回戦でセンバツ準優勝の報徳学園(兵庫)を破る大金星を挙げると、93年ぶりのベスト8にまで進出。準々決勝で敗れたが、「山陰・島根の公立高」の堂々たる戦いぶりはファンの心を掴み、大きな話題にもなった。

 ただ、じつは大社の起こした“旋風”はこれが初めてではない。

 今から22年前の2002年のこと。岡先たちが在学時、陸上競技で「インターハイ総合優勝」という快挙を達成したのだ。当時も「普通の県立高」が起こした奇跡として、多くのメディアに取り上げられた。

 野球と違って個人競技である陸上競技では、ずば抜けた才能を持った選手がたまたま非強豪校から全国の頂点に立つようなケースは(もちろん稀だが)なくはない。

 だが、「総合優勝」となると話は全く別だ。

 陸上競技における全種目の総合得点(※各種目の1位~8位に8点~1点が与えられる)で競う学校対抗戦で優勝するには、全国クラスの選手を相当数擁する必要がある。通常、普通の県立高が優勝することはほとんどないのだ。また、80年近いインターハイの歴史の中で、島根県勢の総合優勝は後にも先にもこの一度だけだ。

 それでもこの年の大社は、個人で岡先が円盤投4位。100mと200mでエーススプリンターの野田浩之が3位。リレーでも400mリレー優勝、1600mリレーも4位と、複数種目で得点を積み上げた。特に人数が必要になる両リレーでともに全国のトップクラスに県立高が食い込むのは、異例の事態と言えた。

 大社は県立高としては珍しく体育科があり、確かに島根県内では強豪校のひとつだ。

 だが岡先の時代は9クラスの内、体育科は1クラスだけ。しかもその中に陸上、野球、体操など多くの部活の選手が在籍しており、総数としては決して多くはなかった。当然、陸上部も県内選手ばかりで、ほとんどが地元・出雲市出身の面々だったという。

「本当に普通の、どこにでもある高校みたいな印象だと思います。陸上部なんて揃いのジャージもなくて、それぞれバラバラの服で練習していましたから(笑)。いわゆる強豪校……という雰囲気は全然、なかったですねぇ」

 岡先はそんな風に高校時代を振り返る。

 トラックは1周300mの土の校庭を、サッカー部と折半。ダッシュをしていると、当然のようにサッカーボールが飛んでくる。部としては朝練もなく「朝練する・しないも含めて、希望者がやりたいことを自由にやる」スタイル。メイン練習は授業が終わった夕方の2時間だけ。校舎の裏の「山中」を走りに行くこともたまにあったという。寮もあるにはあったが、交通の便が悪い地方だけあり、普通科で自宅から通えない生徒の入寮も多かった。

 条件だけ見れば、どう見ても恵まれた環境からは程遠い。 

 ではなぜ、そんな高校がチームとして全国の頂点に立つことができたのだろうか?