22年前の「もうひとつの大社旋風」…なぜ“島根の県立高”陸上部が「インターハイで総合優勝」できた? 原動力だった“伝説のエース”の正体

AI要約

2002年の夏、岡先聖太は高熱で苦しんでいた。砲丸投と円盤投、ハンマー投の3種目でインターハイ出場を決め、特に円盤投は優勝候補の一角だったが、体調を崩して大会に遅れて到着し、チームの雰囲気が良くなっていく中で総合優勝の可能性が浮上する。

野田浩之が主将として活躍し、チームを勢いづけた。総合優勝を意識することが普通ではない陸上競技で、チームは最終日に総合優勝に挑戦することになる。

最終日には主力選手たちが奮闘し、チームはついに総合優勝を果たした。22年前の大社の陸上競技部の快挙は、自己超越とチームワークが重要であることを示している。

22年前の「もうひとつの大社旋風」…なぜ“島根の県立高”陸上部が「インターハイで総合優勝」できた? 原動力だった“伝説のエース”の正体

 今夏の甲子園で、大躍進を果たしたのが島根代表の大社だった。“旋風”とも称されたベスト8進出だったが、実は他競技では以前にも「奇跡の大躍進」を果たしたケースがある。22年前、大社の陸上競技部はインターハイで男子総合優勝という快挙を成し遂げた。「普通の県立高」が起こしたミラクルのウラには、一体なにがあったのだろうか? 《全3回の2回目/つづきを読む》

 2002年の夏、岡先聖太は高熱で苦しんでいた。

 砲丸投と円盤投、ハンマー投の3種目でインターハイ出場を決め、特に円盤投は優勝候補の一角でもあった。そんな中で、プレッシャーからか体調を崩したのだ。

 7月末。チームメイトは皆、茨城で開催されるインターハイにすでに向かっていた。

 何とか重い身体を引きずりながら、現地に岡先が到着したのは他の部員たちからは2日遅れのことだった。

「円盤は優勝、砲丸は入賞を……と思っていたのですが、なかなかコンディションが整わなくて。僕自身は最悪の調子だったんですけど、現地に着いたらチームメイトはどんどんテンション高くなっていって」

 チームの雰囲気が良くなっていったのは、大会2日目にチームのエースで主将でもあった野田浩之が100mで3位に食い込み、翌日には野田を含む短距離陣が400mリレーで優勝を決めたからだった。それを受けて、チーム全体での総合優勝(※各種目の1位~8位に8点~1点が与えられ、その合計得点で競う)も視野に入りはじめたのだ。

 野田は、足の甲の故障の影響で1年近くほとんど走れない時期もあった。それでもコツコツとできる練習を重ね、結果を出し続けてきた。そんな背中にチームメイトの信頼も厚かった。

 また、決して口数の多いタイプではなかったものの、岡先が「遊びの天才」と振り返るように、普段から仲間とふざけあう明るいキャラクターで、チームのムードメーカーでもあった。野田が前評判に違わぬ結果を残したことで、明らかにチームは勢いづいていた。

「野田君はまだ優勝候補だった200mもありましたし、最終日には自分の円盤投もあった。総合優勝って普通はそんなに陸上競技で意識することはないんですけど、全国に来てからは宿舎でみんなでうっすらポイントの計算をしたりはしていました。

 サブ種目の砲丸投で自分が入賞する計算になっていて、『ごめん、それはこの体調では無理っぽい……』と思ったのを覚えています(笑)」

 大会4日目には、その野田が200mでも3位に入り、さらにポイントを加算。

 岡先が述べたように、基本的に陸上競技は学校全体のポイントで競う総合得点ではなく、個人の結果を出すために全力投球するものだ。だが、さすがに部員たちもここまでくると「本当に総合優勝もあるかも……」という気持ちになっていたという。

 チームを率いる持田清道監督からは、「最終5日目に9点取れれば勝てる」と言われた。ライバルは伝統的に短距離種目に強い八王子(東京)と、この年、留学生を長距離種目に起用してポイントを荒稼ぎしていた流経大柏(千葉)の2つの私立校。「9点」という得点は、その2校の戦力を睨んでのものだった。

 最終日には大黒柱の野田を擁する1600mリレーと、岡先の円盤投が控えていた。

 野田は、プレッシャーがかかるのを承知で岡先に「リレーは頑張るから、あとはお前次第だからな!」と声をかけてきたという。

「自分は案の定、初日の砲丸投は予選落ちで終わってしまって。それでも最終日の円盤投は予選を1投で通過できたので、その後はとにかく体力を温存しました。決勝も結局、1投目がベスト記録だったんじゃないですかね。なんだか最後まで省エネな投擲になってしまいました」

 それでも岡先はなんとか4位に入賞。

 そして最終種目の1600mリレーでも、この大会12レース目の全力疾走にも関わらず、野田がアンカーで獅子奮迅の激走を見せ、順位を上げて4位。目標だった9点を上回る10点を獲得した。

 こうして非常に珍しい「普通の県立高」のインターハイ総合優勝は成立したわけだ。