ルクレール&フェラーリがモンツァ制覇でティフォシ歓喜! マクラーレン1-2の目論見を阻んだモンツァの魔物の悪戯とは

AI要約

1988年、マクラーレンチームがモンツァでのレースで敗戦を喫し、フェラーリが勝利。エンツォ・フェラーリへの弔い合戦となった。

1999年、ミカ・ハッキネンがモンツァで魔物の悪戯によりリタイア。ハッキネンは感情を露わにしてしまう。

2008年、雨により予選でポールポジションを獲得したトロロッソのセバスチャン・ベッテルが初勝利を達成。魔物の影響も含めて記念すべき瞬間となった。

ルクレール&フェラーリがモンツァ制覇でティフォシ歓喜! マクラーレン1-2の目論見を阻んだモンツァの魔物の悪戯とは

 モンツァの森には魔物が棲んでいると言われる。そして、その魔物は数年に一度、ちょっとした悪戯をレースに仕掛ける。

 1988年。開幕から11連勝と圧倒的な強さを披露してきたマクラーレンが、シーズン唯一の敗戦を喫したのがモンツァでの一戦だった。ポールポジションからスタートしたマクラーレンのアイルトン・セナがレース終盤までリードしていたが、残り2周で周回遅れのジャン=ルイ・シュレッサー(ウィリアムズ)をかわした直後に、シュレッサーがブレーキをロックさせ、コントロールを失ってセナと接触。セナのマシンは大きく跳ね上がった後、地面に叩きつけられリタイア。セナの同僚のアラン・プロストはすでにエンジントラブルでリタイアしており、全滅したマクラーレンに代わって1-2フィニッシュを飾ったのが地元のフェラーリだった。

 フェラーリにとってこのイタリアGPは、前月に逝去した創始者エンツォ・フェラーリの弔い合戦であった。ドライバーはもちろん全スタッフが喪章をつけて戦い、天国のエンツォに捧げる涙の勝利となった。

 1999年はミカ・ハッキネン(マクラーレン)に魔物が襲いかかった。2位以下を大きく引き離して独走態勢を築いていたレース後半に、ストレートエンドのブレーキングでスピン。グラベルにはまってリタイアとなったハッキネンはピットに戻る途中の森の中で膝をついて泣き崩れ、モンツァに棲む魔物の怖さを改めて感じさせた。

 魔物が仕掛けた悪戯が、歴史的な勝利を演出したこともある。

 2008年のイタリアGPは雨に祟られた。高速サーキットのモンツァでの雨はミスを誘発させやすく、予選では上位チームのドライバーが次々に失敗。ポールポジションを獲得したのは“もうひとつのイタリアチーム”たるトロロッソのセバスチャン・ベッテルだった。トロロッソはF1参戦3年目で、ベッテルもフル参戦1年目。両者にとって初のポールポジションからスタートした日曜日のレースも雨となり、視界の悪さを利したベッテルはミスのない走りでポール・トゥ・ウィンを達成。チームと自身にとって記念すべき初勝利となった。

 そして今年、魔物の悪戯に翻弄されたのはマクラーレンだった。ランド・ノリスが土曜の予選で圧巻のポールポジションを獲得。日曜のレースではスタート直後の1コーナーこそトップの座を守ったが、2つ目のシケインでチームメートのオスカー・ピアストリに先行を許し、続くコーナーでシャルル・ルクレール(フェラーリ)にかわされ3番手に後退してしまう。

 ノリスはそれでも1回目のピットストップでルクレールを逆転。上位陣で1回目のピットストップを遅らせていたレッドブル勢がピットインしたところで、マクラーレンは1-2体制を築く。おそらくマクラーレンはこの時点で勝利を確信したはずだ。なぜなら、1回目のタイヤ交換で「ハード→ハード」の選択をしたレッドブルは、2種類のタイヤ使用を義務付けるルールを消化するため、もう一度ピットインする必要があるからだ。

 マクラーレンはここで、ある指令を無線で飛ばす。それは、チームカラーにちなんだ「パパイヤ・ルール」の実行で、事故を起こさなければチームメート同士でバトルしてもいいというチーム内の取り決めだった。

 これにより、チャンピオンシップでマックス・フェルスタッペン(レッドブル)を追うノリスがピアストリを猛追。ピアストリも逆転されまいと逃げに逃げた。そのため、2人のタイヤは徐々に消耗していったが、もう一度ピットインしてタイヤを交換すれば1-2体制の維持は可能であるように思われた。