飛躍の土台は幼少期から 歴史塗り替えた三浦―陸上〔五輪〕

AI要約

男子3000メートル障害で歴史を塗り替えた三浦。日本勢では初となる2大会連続入賞を達成。

幼少期から地元の陸上教室に通い、豊かな自然の中で体を動かして遊んで育った。さまざまな種目に挑戦し、ハードルから長距離までの経験が障害を跳び越える土台に。

高校総体での逆境が成長の転機となり、チームで力を合わせるエネルギーを持つ三浦。東京五輪に向けて、無限の可能性を秘めて22歳は更なる成長を目指す。

 スピードやスタミナ、跳躍力などさまざまな要素が要求される男子3000メートル障害で、三浦が歴史を塗り替えた。

 トラック種目の日本勢では初となる2大会連続入賞。幼少期からの積み重ねが偉業に結び付いた。

 島根県浜田市出身。「海、川、山、全部制覇している」と言うほど豊かな自然の中で体を動かして遊んできた。

 小学1年生から地元の陸上教室に通い、ハードルから長距離までさまざまな種目に挑戦。障害を跳び越える際のバネの土台となった。小学5年生の時の縄跳び大会では、二重跳びを6分ほど続けて優勝。「あと2分は跳べた」と振り返るほど余裕があった。

 中学まで目立った実績はなかったが、同教室の室長に勧められ、京都・洛南高で3000メートル障害を始めた。転機は高校2年の全国高校総体。予選で他の選手への進路妨害があったとして失格となった。

 同校の奥村隆太郎監督(37)は「より勝ちたいという欲が見えるようになった」。練習で800メートルの選手とスピード勝負。3年で迎えた高校総体では、学校対抗の総合優勝のために1500メートルにも出場した。ラストスパートのキレが磨かれた。

 「チームで力を合わせることをエネルギーに変えられるタイプ」と奥村監督。順大進学後も駅伝に取り組み、箱根駅伝には4年連続で出場。4年では主将としてチームを引っ張った。

 高校3年で「パリ五輪に出たい」と言った三浦に対し、奥村監督は「東京を目指すぐらいの気持ちで競技に取り組みなさい」と伝えた。結果的に1年延期された東京五輪から2大会連続で入賞。無限の可能性を秘める22歳は「サンショー(3000メートル障害)を突き詰めていきたい」。これからも第一人者として、世界の高みを目指す。