「初恋メダルですね」田村亮子、伝説の試合をプレイバック【シドニー五輪柔道48キロ級】

AI要約

田村選手が8年越しの悲願の金メダルを獲得し、日本柔道チームが男女同日の金メダルを獲得したシドニー五輪の歴史的瞬間。

決勝でわずか36秒で一本勝ちを果たし、約800人の応援団が大歓声を上げた田村選手の感動的な勝利。

田村選手は過去の悔し涙から立ち直り、最後の悔し涙から4年間の挑戦を経て、金メダルを手に入れた。

「初恋メダルですね」田村亮子、伝説の試合をプレイバック【シドニー五輪柔道48キロ級】

 パリ五輪は27日から本格的に競技が始まり、柔道女子48キロ級が行われます。

 西日本新聞社ではパリ五輪に取材班を派遣して大会の熱気をお届けしています。これまでの五輪でも記者やカメラマンが現地で取材し、幾多の名シーンを伝えてきました。当時の記事や写真を「西スポWEB OTTO!」で復刻し、皆さんの記憶に残る歴史的な瞬間をどのように伝えたかを振り返ります。

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【2000年9月17日付 西日本新聞より】

 田村選手、ついに8年越しの悲願の金メダル―。シドニー五輪は16日、柔道が始まり、女子48キロ級の田村亮子選手(福岡工大付高―帝京大―トヨタ自動車)が待望の金メダルを獲得、今大会の日本選手の金第1号となった。

 バルセロナ、アトランタと過去2大会いずれも銀メダルに終わり「三度目の正直」に挑んだ田村選手。苦戦しながらも勝ち上がり、決勝でリュボフ・ブロレトワ選手(ロシア)にわずか36秒、鮮やかな内またで一本勝ちした。約800人の応援団が陣取ったスタンドでは多くの小旗が振られ、大歓声が会場を揺るがせた。この勢いで続く男子60キロ級も、野村忠宏選手(ミキハウス)が優勝、2大会連続の金メダルとなった。

 日本柔道として五輪史上初の男女同日アベックV。最高のスタートとなった。

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 決勝で一本勝ちを確認すると相手の上になったまま右手を二、三度、突き上げた。何度も、何度も跳びはねた。そのうち涙が…。

 「初恋の人とやっと巡り合えた気持ち。初恋メダルですね」

 山本洋祐担当コーチと抱き合った。直前まで胸を貸してくれた恩師の園田義男・福岡工大付高柔道部長に飛びついた。割れんばかりの大歓声が、田村選手を中心にできた歓喜の渦を包み込む。

 「五輪に初めて出場してここまで8年。この瞬間を味わうためたくさんの時間を費やした。夢のようです」

 電光石火の早業だった。決勝はわずか36秒。組み手争いから相手をつかむと、右からの一閃(いっせん)内また。今年のヨーロッパ選手権2位のリュボフ・ブロレトワ選手(ロシア)を投げ飛ばした。

 柔道を始めたばかりの小学2年の秋、博多祇園山笠で知られる櫛田神社(福岡市博多区)の奉納試合に出場した。初めての大会で男子を五人抜き。手にしたのがメッキの「金メダル」。その輝きが田村選手をヤワラの道に引き込んだ。「一生懸命やれば、こんなにすてきなメダルがもらえると思ったんです」。あれから17年。負けず嫌いだった少女は今、まぶしいばかりの「本当の金メダル」をかけた。

 世界選手権4連覇、福岡国際柔道10連覇。輝かしい戦歴を誇る彼女だが、五輪だけは縁がなかった。最後の悔し涙から4年間、いろいろなことがあった。アトランタ直後は2カ月間、落胆から柔道着にそでを通せなかった。次から次にけがにも襲われた。しかし、負けなかった。昨年末から練習の拠点を自分の柔道の原点である福岡に戻した。福岡工大付高などで、園田義男部長や園田勇・福岡県警首席師範の胸を借りた。

 「最高でも金メダル、最低でも金メダル。強い気持ちで臨みました。目標が達成できた」

 アトランタ五輪の決勝で敗れて以来、続けてきた連勝を「53」に伸ばしたところでついに届いた金メダル。五輪に潜む魔物を退治した“小さな巨人”。146センチの体がこの日、世界で一番輝いた。(シドニー・諸隈光俊)