石が重いのは「家に帰りたがっている」から…?「トンチンカンな説明」のはてに、人類が気づいた「重力の正体」

AI要約

科学の歴史を通して、古代ギリシャからニュートン、ガリレオ、アインシュタインまでの偉大な科学者たちの発見物語を紹介。

ガリレオとケプラーの楕円軌道の発見や、ガリレオの慣性の法則の重要性、ニュートンの重力による宇宙の仕組みの解明などの話が含まれる。

アリストテレスの理論からの脱却や、人工衛星の可能性についての議論も捉えられている。

石が重いのは「家に帰りたがっている」から…?「トンチンカンな説明」のはてに、人類が気づいた「重力の正体」

古代ギリシャの原子論から、コペルニクスの地動説、ガリレオの望遠鏡、ニュートン力学、ファラデーの力線、アインシュタインの相対性理論まで、この世界のしくみを解き明かす大発見はどのように生まれてきたのか?

親子の対話形式でわかりやすく科学の歴史を描き出した新刊『父が子に語る科学の話』から、偉大な科学者たちの驚くべき発見物語の一端をご紹介しよう。

*本記事は、ヨセフ・アガシ著/立花希一訳『父が子に語る科学の話 親子の対話から生まれた感動の科学入門』(ブルーバックス)をオンライン向けに再編集したものです。

太陽の重力について書いた人は、イギリスの科学者、アイザック・ニュートン(1642~1727)だった。かれが科学革命を完成させたのだ。かれは、ガリレオが死んだ年に生まれた。ちなみにケプラーは、ガリレオが異端審問にかけられる何年か前に死んだ。

コペルニクスは1543年に死に、ブルーノは1600年に死んだ。その後まもなくして、ガリレオとケプラーは偉大な発見をした。後に紹介するルネ・デカルトは1596年に生まれ、1650年に死んだ。イギリス王立協会は1660年に創立された。ニュートンが偉大な発見をしたのはその後だが、1700年よりかなり前のことである。すなわち、コペルニクス後、100年以上ではあるが、150年はたっていないのだ。

ニュートンは、ケプラーの軌道に関する法則と、ガリレオの慣性の法則に類似した慣性の法則とを結びつけた。そうすることによって、人工衛星を宇宙に打ち上げ、しかもそこに留まるために必要な速度の計算をおこなうことができたのが、ニュートンだった。ただし、ガリレオが慣性の法則について考え始めたとき、すでに人工衛星というアイデアは生まれていた。

ガリレオの慣性の法則に関する考察を始める前に、これまでのことを要約しておこう。ガリレオは、惑星は完全な円を描いて動いていると考えていたが、それはまちがっていた。ケプラーは、惑星の軌道が楕円であること、そして楕円軌道上を動く惑星は、太陽に近づくほど速く、太陽から離れるほど遅く動くことを発見した。他方、ガリレオは慣性の法則を発見したが、これがコペルニクス主義のいくつかの難点をとり除くことに役立った。

人工衛星について話す前に、アリストテレスの理論に立ち戻ってみよう。というのも、アリストテレスの理論では、人工衛星などというものをわれわれが望むことすら不可能なのだから。天上界の物体はすべて円を描きながら動いており、したがって完全である、とアリストテレスは言った。アーロンもおぼえているだろう。月は、最下層にある天上界の物体だが、最初の完全な物体で、したがって、水晶でできている。

しかし、それはまちがいだった。これを正したのがガリレオだが、アリストテレスにとっては、月は完全であり、月より下にある事物は不完全なものだった。月より下にある事物は、自分自身の自然の家があるのだ。

すべての事物は神によってあたえられた場所をもっている、とアリストテレスは信じていた。それが「自然の家」だ。アーロンが何かを自然の家からもち去ると、それはもとの場所に帰ろうとする。

まるで迷子の猫だ。猫が家に帰るには時間がかかるし、また猫はいつでも道を正確におぼえているわけではないけれど……。ともあれ、アリストテレスは、世界には四つの元素、あるいは四種類の物質があると言った。それは、土(あるいは石)、水、空気、そして火だ。アリストテレスは、土の自然の家は世界の中心にあり、その上が水で、その上が空気、さらにその上が火であると信じていた。