失明、壮絶ないじめ、長男の死を乗り越え「本当は、目の見える人生を送りたかった。でも...」盲目の先生語る「命を救う言葉」とは【第9話】

AI要約

竹内昌彦さんは岡山市在住の盲目の講演家で、70年以上目が見えない人生を歩んできた。彼はこれまで3000回以上の講演を通じて多くの人々を励まし、救ってきた。

竹内さんは苦難を乗り越えた人生から生まれた言葉が多くの人々の心に響き、彼のメッセージは15年にわたってRSKラジオなどで取り上げられている。

竹内さんは講演をするだけでなく、自らの本を出版し、売り上げを講演会の謝礼と合わせて活動資金として活用している。

失明、壮絶ないじめ、長男の死を乗り越え「本当は、目の見える人生を送りたかった。でも...」盲目の先生語る「命を救う言葉」とは【第9話】

■多くの命救った 3000回の講演

皆さんは、岡山市在住の竹内昌彦さんをご存知でしょうか?生後間もなく右目を失明、さらには小学生のときに左目を失明し、これまで70年以上にわたって目の全く見えない人生を歩んできました。

そんな竹内さんのライフワークとも言えるのが「講演」です。これまで30年間で3000回近くの講演を行い、悩める多くの人たちを救ってきました。

小学生時代の壮絶ないじめ、青年期の大きな挫折、幼き長男の死...多くの苦難を乗り越えた竹内さんから紡ぎ出される言葉は、今を生きる人たちの心に響きます。

そんな竹内昌彦さんを、RSKラジオ・RSKイブニングニュース・RSK地域スペシャル メッセージでは15年に渡って追い続けてきました。「死ななくてよかった」「その言葉で命を救われた」「生きる勇気をもらった」...竹内さんの言葉・人生をシリーズでお送りしていきます。

■竹内さんが講演して回る「もう一つの理由」があった

日程が合う限りは、全国各地の招かれた先で講演を行う竹内昌彦さん。実はメッセージを伝えていく以外にも、果たしたいことがありました。

(竹内昌彦さん 講演より)

「卒業生が『先生、本に書け』言うから、こういう本を書いた。この表紙の絵を見てください、これは私の絵なんですよ」【画像(1)】

「私が、まだ目が見えるときにクレヨンで書いた絵です。小学校一年生の頃の絵を、母が『この子はもう書けなくなるから』と言って、捨てなかったから残った」

「『見えないから見えたもの』という題は妻が考えて、その文字はおととし94歳の父が書いてくれて、それが最期でした」

「あの死んでしもうた子供のことを書くときはね、本当に涙が止まらなかった。でも『書いて残してやらにゃいけん』と思うて書いた」

竹内さんと家族の思いが詰まった本です。講演が終わった後、希望者に販売しています。竹内さんは売り上げを、講演会の謝礼と合わせてあることに使っています。