見つめ続けたのは兵士の命 従軍カメラマン柳田芙美緒【戦後79年】

AI要約

静岡連隊に所属した兵士や写真家の柳田芙美緒に焦点を当て、戦時中の静岡市での戦いと終戦後の彼らの運命について描かれています。

静岡連隊は団結力があり、最前線に送られることが多かった。写真家の柳田芙美緒は同郷の兵士たちの素顔を撮影し続け、彼らにとって重要な存在だった。

終戦間際の空襲で柳田さんは自宅を焼失し、写真やネガを失ったことで生活は一変。戦後の世間での受け入れ方には不安を感じていた。

見つめ続けたのは兵士の命 従軍カメラマン柳田芙美緒【戦後79年】

終戦から79年。SBSテレビのアーカイブから、戦争を、あの時代を生きた人たちの想いを伝えます。(2015年放送「つなぐ~静岡の戦後 静岡連隊」)【SBSアーカイブより】

静岡市の中心市街地にある駿府城公園。この中に、戦時中、日本軍の部隊が置かれていました。「静岡連隊」主に静岡県の中部、東部の出身者で組織された歩兵部隊です。

<静岡歩兵連隊元兵士(取材当時96歳)>

「やっぱり静岡の人間というのは団結力があっただよね。やらざーって言って。だから静岡連隊は強いと言われた」

その強さゆえ静岡連隊は、最前線に送られることが多かったといいます。

<静岡歩兵連隊元兵士(取材当時96歳)>

「また作戦か、と行くと静岡34連隊は一番危険な場所に行かされ犠牲者がたくさん出た」

そうした中を兵士とともにかいくぐり、彼らから戦友と呼ばれたカメラマン。それが静岡連隊付き写真師・柳田芙美緒(やなぎだ・ふみお)です。戦場にカメラを持って行った兵士もいましたが、命と引き換えに写真を撮る者はいませんでした。

<静岡歩兵連隊元兵士(取材当時95歳)>

「柳田さんがいて写真を撮ってもらう、というのはそれこそ幸運でないとなかったですね」

柳田芙美緒は静岡連隊に約8年間従軍し、同郷の兵士たちの素顔を撮り続けました。自分の戦う様子を写真に収めてくれる柳田さんは兵士たちにとって大切な存在でした。柳田さんは最前線の戦闘ばかりでなく、家族や友達が撮ったスナップ写真のように同郷の兵士たちの素顔もフィルムに焼きつけていきました。

『命令された写真を撮るのに飽きた。兵士たちの身になって戦闘を見つめたい』と。

しかし、戦況は悪化していきます。終戦間際、空襲で柳田さんは自宅を焼かれ、それまで撮影してきた大量の写真やネガを失いました。そして終戦。それは柳田さんの生活を一変させました。

<柳田芙美緒さんの三女 柳田夕映さん>

「父は2階の自室にいて言葉は少なかった。軍の関係の仕事をしていた者が、戦後どのように世間に受け止められたか、今、私たちが考えてもわかりますよね」