戦後8年が経ち浮上した潜水艦「潜望鏡だけはぴかぴか光っていた」 戦争の末期に沈没し引き揚げられた「伊号第三十三潜水艦」 目撃者の記憶とは

AI要約

伊予灘沖で沈没した旧日本海軍の潜水艦についての慰霊式の様子が描かれています。

地元住人が戦時中の記憶を語り、潜水艦の引き上げ後に行われた慰霊碑の前での出来事を共有しています。

福島ツネミさんら地元住民は、80年を迎える慰霊式に参加し、当時の様子を鮮明に思い出しています。

戦後8年が経ち浮上した潜水艦「潜望鏡だけはぴかぴか光っていた」 戦争の末期に沈没し引き揚げられた「伊号第三十三潜水艦」 目撃者の記憶とは

きょう終戦から79年を迎えました。

今から80年前の太平洋戦争中に伊予灘沖で沈没し、その後、引き揚げられた、旧日本海軍の潜水艦。

えい航された先の興居島で、その様子を目撃した住人から、話を聞くことができました。

愛媛県松山市の沖合いに浮かぶ興居島(ごごしま)。

海岸線に沿って走る道の片隅に慰霊碑があります。

石碑に刻まれた「伊号(いごう)第三十三潜水艦」の文字。

終戦が近づいた昭和19年、1944年6月13日、試運転中の事故により、伊予灘沖に沈みました。

例年この場所では、地元の住人が中心となり、慰霊式が執り行われてきましたが、最近は、参加する人の数も減少傾向ということです。

(地元の住人)

「ここへ来る人も部落(集落)の人くらい、歳を取った人も多いので」

「80年目だから、大勢来るのかと思った」

参加者のひとり、福島ツネミさん90歳。

興居島と共に、歳を重ねてきました。

毎年、慰霊式には欠かさず参加するといいます。

(福島ツネミさん)

「理由はね、それは、私たちは戦争の時分を知っているので、だから死んだ人が愛おしいと思う、やっぱり」

戦時中に事故で沈没した「伊号第三十三潜水艦」は、その9年後の1953年に引き上げられた後、この興居島にえい航され、慰霊碑の前の海に止め置かれました。

福島さんら地元の住人は、目撃した当時の様子を鮮明に記憶していました。

(福島さん)

「22、23歳だった。ここにつけていた。もう『わやくちゃ』よ、外面見られたものではなかった。いっぱいカキがついて」

(地元の男性)

「けど潜望鏡だけは、ぴかぴか光っていた」

(福島さん)

「(潜水艦の)ハッチが開いていない場所があって。髪がもうみんな(乗組員の)若い衆の髪が赤くなっていて…。ハッチを開けた作業員が倒れたと聞いた」

(地元の男性)

「そのままだった」

(福島ツネミさん)

「髪が赤くなって、かわいそうやった」

潜水艦で亡くなった乗組員の遺体は、興居島の海岸で、荼毘(だび)に付されました。