あすは終戦の日 戦後79年 シベリア抑留の画家 香月泰男が教えたもの
終戦から79年が経過し、戦争から平和な国への歩みを振り返る。
画家香月泰男のシベリア抑留体験を通して、戦争の残虐さを描く。
変化に富んだ下関を舞台に、画家としての活動や戦時下の生活を振り返る。
終戦から今年で79年を迎えます。
1945年の8月15日、日本は敗戦というかたちで戦争を終え、平和な国づくりに歩み始めました。
しかし8月15日を境に、ことばにできないほどのつらい体験をした人たちがいます。
シベリア抑留、捕虜としてシベリアでの労働を強いられた人たちです。
山口県長門市出身の画家、香月泰男もそのひとりです。
その体験を、代表作・シベリアシリーズとして残しています。
香月を知る、生き証人がその残した思いを話してくれました。
「天に届くばかりの火炎をあげて、兵舎が燃えているのを見た。…炎がすさまじくはぜて、あたかも悪業の終末を告げる業火の如く見えた」
紅蓮の炎を描いたのは長門市出身の画家、香月泰男です。
捕虜としてシベリアに送られる列車から見た光景を描きました。
「何でもできないと思ったらできないと、こう言われたことをこうしましょうと思ったら必ずできると、そう思ってすると完全に何でもできるんだよと、そういうことの積み重ねがみんなの心の栄養になるんだよと」
北九州市に住む西孝子さんは現在の下関南高校、当時の下関高等女学校で図画の教師だった香月の思い出を語ってくれました。
叱ることなく、穏やかな先生だったといいます。
西孝子さん
「ひとクラス50人でしたから、何人かおちゃめがいたんです。そのおちゃめがときどき騒いで先生を笑わせたりなんかしたことはありましたね」
関門海峡など地形の変化に富んだ下関は、画家にとって絶好のモチーフでした。
しかし、要塞地帯であったため絵に描くこともできなかったと香月はのちに振り返っています。画家が絵を描く
こんな当たり前のことができなかった戦争中、人々の暮らしからは当たり前のことが失われていきました。
西孝子さん
「防火訓練とか防空演習とか、そういうのがありましたね、そしてセーラー服がもんぺになってみんなもんぺになって、ネクタイしてたけどネクタイも外してね」
西さんは挺身隊として市内の企業に派遣され、敵に見つからないようにする覆い「偽装網」の製造に従事しました。