戦後79年 陸軍の演習地だった三瓶山周辺に残る「監的壕」「兵舎」跡 訓練時には3000人以上の兵士が

AI要約

太平洋戦争終結から79年が経ち、戦争で命を落とした方々や被害を受けた方々の記憶が山陰に残る。

島根県大田市の三瓶山には、かつて陸軍の演習場として使用された遺跡が残り、その中には監的壕と呼ばれるコンクリートの建物も見られる。

三瓶山の監的壕は100年以上前の遺物でありながら、頑丈な造りで当時の戦争の痕跡を伝えている。

戦後79年 陸軍の演習地だった三瓶山周辺に残る「監的壕」「兵舎」跡 訓練時には3000人以上の兵士が

太平洋戦争が終わって79年。

山陰にも戦地に赴き、ふたたび故郷の土を踏むことなく命を落とした方、空襲の被害にあった方が数多くいます。

長い年月を経ながら残っている戦争の記憶を伝える遺跡を島根県大田市の三瓶山に訪ねました。

入江直樹 記者

「間もなく終戦の日です。こちら観光地にもなっている大田市の三瓶山なんですが、戦争の遺跡が残っているということです。こちらにはどういったものが残っているんでしょうか。」

志学まちづくりセンター・三谷和弘さん

「三瓶は昔、陸軍の演習場となっておりまして、こちらの場所には大砲を打ち込んだ着弾点を確認する監的壕というのが残ってます。」

案内していただいたのは、地元小学生向けにふるさとを紹介する副読本を編集した志学まちづくりセンターの三谷和弘さんです。

三瓶山の東の原で生い茂る雑草をかき分けて進むと、コンクリートの建物が現れました。

志学まちづくりセンター・三谷和弘さん

「トーチカ、トーチカって呼んでたんですけど。」

三谷さんが昔、友達と遊んでいたという監的壕(かんてきごう)です。

先の副読本によると国は明治21年から広大な三瓶山の中腹を陸軍の演習地として買収。

直後の日清・日露戦争でもここでの訓練が生かされたと想像出来ます。

志学まちづくりセンター・三谷和弘さん

「ここ正面で、中に入って、こちらで着弾点を見てたような格好で。

原っぱが広がってる(場所に)500mか400m位トロッコ(の線路)が敷いてあって、(その上を)的が動いてるのを狙ってて、当たった、当たってない(を判定していた)。」

監的壕の背中側から大砲を撃ち、頭上を飛び越えた弾が当たったか細長い窓から確認しました。

誤爆に備えてか、コンクリートの厚みだけで1メートル位ある頑丈な造りです。

入口はとても小さいものの二重の鉄の扉があったようです。

中に入ってみると。

志学まちづくりセンター・三谷和弘さん

「100年位経ったものが、こんなしっかりした形で残ってるってのも、すごいなと思います」