被爆体験者に救済へ一筋の光 岸田首相に評価と疑念 79回目の8月9日 長崎

AI要約

80年目の被爆の前に、長崎から核廃絶へのメッセージが重要性を増している。

岸田首相と被爆体験者の面会で、具体的な対応策の調整が指示されたものの、期待と懐疑が入り交じる。

高齢化する被爆者たちが被爆者認定を求める中、裁判と救済への希望が交錯する。

被爆体験者に救済へ一筋の光 岸田首相に評価と疑念 79回目の8月9日 長崎

 被爆80年の節目を前にした79回目の8月9日。人々は「あの日」に思いをはせ、1発の原子爆弾に奪われた命を悼んで静かに目を閉じた。世界では、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃など争いが続き、分断が進んでいる。核兵器による脅しや核軍拡の流れなど核情勢が緊迫化する中、高齢化する被爆者の核廃絶への思いを絶やさぬよう、意志を継ぐ次の世代がバトンを受け取ろうとしている。“最後の被爆地”長崎から世界に発せられるメッセージの重みは増している。

 長年、被爆者認定を訴えてきた被爆体験者たちに救済へ一筋の光が見えてきた。岸田文雄首相と初めて面会し、その口から出てきたのは「具体的な対応策の調整を(厚生労働大臣に)指示する」。体験者らは「一歩前進」と評価する一方、「これまで(の経緯)を考えると信じられない」と懐疑的な見方が入り交じった。

 被爆体験者は爆心地から半径12キロ内で原爆に遭いながら、国が定めた被爆地域(南北約12キロ、東西約7キロ)の外にいたとして、被爆者と認められていない。国は2002年、被爆体験に起因する精神疾患とその合併症に医療費を支給する支援事業を開始。当初、医療給付の対象を「半径12キロ内に居住する人」に限定(その後、撤廃)。その後も運用を厳格化し、体験者を翻弄(ほんろう)してきた。体験者は07年以降、国や県、長崎市に被爆者健康手帳の交付を求める集団訴訟を起こした。しかし19年までに最高裁で敗訴が確定。原告の一部が長崎地裁に再提訴し、今年9月9日、判決が言い渡される。

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 9日、市内のホテル。平和祈念式典が終了した後、被爆者4団体と首相が面会する場に、体験者3団体の代表らも初めて並んで座った。これまでの要望活動や司法の場でも、真摯(しんし)に向き合ってもらえなかったゆえ、首相面会が決まっても「会っても何にもならない」と否定的な仲間もいた。それでも広島の「黒い雨」被害者が救済されたように、進展を願い、この日を迎えた。

 3団体の代表の要望時間はわずか5分。第二次全国被爆体験者協議会の岩永千代子会長(88)は3枚の絵を手に、積年の思いを語り出した。黒い灰が空一面に降り注ぐ中、子どもたちが井戸に顔を入れたり、ひしゃくですくったりして水を飲む様子-。体験者たちが描いた「あの日」だった。「これが現実です。私たちは被爆者ではないのでしょうか」

 絵を見つめていた岸田首相が体験者の高齢化などに触れ、具体的な対応策の調整を指示すると、突然、会場に怒号が響いた。

 「被爆体験者は被爆者じゃないんですか」。同席していた支援者で県平和運動センター被爆連の平野伸人副議長(77)が立ち上がった。岸田首相は平野副議長の元に歩み寄り、訴えに耳を傾けた。握手を求め「一生懸命やる」と約束し、会場を後にした。

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 終了後、体験者3団体の代表らは市内で記者会見。「私たちの前で指示をしたことは救済につながる道かなと思う。道は長く、歪曲(わいきょく)されていくかもしれないが、くじけない」。岩永会長は希望を見いだした様子だったが、平野副議長は「前進回答かどうか分からない。(長崎地裁)判決までの1カ月で動きがあるのか」とぶぜんとした表情。

 他の2団体も評価が分かれた。長崎被爆地域拡大協議会の池山道夫会長(82)は「これまで訴えてきたことが通じたと思う。期待して見ていきたい」と述べた。多長被爆体験者協議会の山内武会長(81)も「一歩前進。でも仲間が亡くなっていく。早く解決してほしい」と期待を寄せた。

 一方で、橋本募副会長(78)は「これまで国から『長崎は(広島と)別』と言われてきた。総理から救済という言葉がなく、(今後の動きは)あやしい」と疑問を呈し「(9月9日の)判決前に方向性を出してほしい」と早期決着を求めた。体験者約5千人の平均年齢は84歳を超す。体験者たちは残された時間の針をにらみ、焦りを募らせる。