江戸城石垣の部材「伊豆石」途絶の危機 12年前の大雨被害で“最後の採石場”停止 利用建築物、徐々に姿消す

AI要約

伊豆半島で伊豆石の採石が12年前の大雨被害で止まり、再開の見込みが立っていない状況が続いている。

伊豆石を産業文化遺産として継承しようとする動きが活発化しており、研究者らが積極的に取り組んでいる。

伊豆石の価値が再評価される中、沼津の探究会が活動を展開し、伊豆石の産業史や継承について広く発信している。

江戸城石垣の部材「伊豆石」途絶の危機 12年前の大雨被害で“最後の採石場”停止 利用建築物、徐々に姿消す

 伊豆半島を中心に産出され、江戸城の石垣の部材として知られる「伊豆石」の採掘が12年前の大雨被害で止まり、いまだ再開の見込みが立っていない。伊豆石を利用した建築も老朽化などにより県内から徐々に姿を消しつつあり、研究者らの間では伊豆石を「産業文化遺産」として継承しようとする動きが活発化している。

 伊豆半島で伊豆石の“最後の採石場”とされる伊豆の国市の現場は、2012年の大雨で崩落し、採石業者も廃業した。土地所有者の男性(74)によると崩落以降も年に数件、文化財復元などの需要で問い合わせがあるものの、設備の整備費用などがネックとなり復旧のめどが立たない。「伊豆石の採石は機械の扱いが難しく、このままでは技術が途絶えてしまう」と表情を曇らせる。

 伊豆石のうち加工しやすい軟石に分類される「若草石」は、現在でも旅館の温泉浴場に用いられている。浴槽や洗い場に使用している西伊豆町の民宿「シーサイド堂ケ島」経営者の藤井秀近さん(68)は「ぬれると鮮やかな緑色になってきれい」と語り、ウェブサイトでも自慢の風呂をPRしている。「でももう供給源はないと言われている」と明かす。

 伊豆石の採石を巡っては、神奈川県西部で現在も採掘が行われているが、美しい伊豆創造センターなどによると静岡県内では途絶えているとみられる。

 伊豆半島最大級の伊豆石建築とされた下田市の旧南豆(なんず)製氷所は国登録有形文化財だったが、老朽化により崩壊の恐れがあるとして、14年に解体された。一方で、伊豆石産業遺産群が「ぬまづの宝100選」に認定されるなど価値の見直しも進む。

■価値見直しへ動き活発化 沼津の探究会 情報発信に力

 伊豆石を産業文化遺産として継承しようと、伊豆石文化探究会(沼津市)は歴史調査や価値発信に取り組み、発足5年を迎えた。

 会員は大学教員や市民など県内外の約30人。県東部の調査で、これまでに倉庫や蔵など約400棟の伊豆石建築の現存を確認した。採石場遺跡のドローン撮影と3Dデータ化にも取り組み、今年1月には下田市大沢地区の遺跡内部の推定図面を起こし、動画を公開した。研究成果は学会で発表するほか、一般にも発信する。今月14日には静岡市歴史博物館で講演会「市井の産業遺産・文化遺産を考える」を開き、伊豆石産業史や継承の取り組みを広く紹介する。

 剣持佳季理事長(30)は「産地が複数市町に広がり、学術的にも多領域にまたがる伊豆石研究はこれまで専門家の間では難しいとされてきたが、さまざまな人の力を借りて産業史を少しずつ明らかにできている」と手応えを語る。今後は公的な遺産への登録や利活用を進めたいという。

 <メモ>伊豆石は伊豆半島周辺で産出される石材の総称。古くは古墳時代の石棺に使われ、17世紀初頭には徳川幕府の築城で重宝された。幕末維新期には西洋建築の普及で需要が高まり、明治中頃までの首都圏における石材産業産出額の約8割を占めたとする官報記述もある。日本銀行本店はじめ著名建築に用いられた。大正期には県内に100超の事業者が存在したとみられるが、以降は資源量や価格競争で他の産地に押され衰退した。