豊臣秀次の実像に迫る…中京・瑞泉寺で研究者が座談会、妻妾辞世の和歌表装の掛け軸など紹介

AI要約

豊臣秀次のおいで関白の秀次(1568~95年)が謀反の疑いをかけられ自害し、一族が三条河原で処刑された「秀次事件」。430回忌にあたる今年、研究者が菩提寺の瑞泉寺(京都市中京区)で最新研究を披露する座談会を行ったり、京都国立博物館(同市東山区)が特集展示を開いたりしている。

6月に同寺で開かれた法要と座談会では、大阪城天守閣元館長の北川央さん(織豊期政治史)、関西学院大教授の山川曉さん(美術史)、早稲田大社会科学総合学術院教授の黒田智さん(中近世日本文化史)らが約50人を前に語り合った。

山川さんは、秀次の妻妾らが処刑の際に詠んだ辞世の和歌を裂きれで表装した掛け軸20幅について紹介し、黒田さんは秀次や家臣、妻妾らを描いた集団肖像画について解説した。

 豊臣秀吉のおいで関白の秀次(1568~95年)が謀反の疑いをかけられ自害し、一族が三条河原で処刑された「秀次事件」。430回忌にあたる今年、研究者が菩提(ぼだい)寺の瑞泉寺(京都市中京区)で最新研究を披露する座談会を行ったり、京都国立博物館(同市東山区)が特集展示を開いたりしている。汚名を着せられ、タブー視された秀次とはどんな人物だったのか――。(夏井崇裕)

 6月に同寺で開かれた法要と座談会では、大阪城天守閣元館長の北川央さん(織豊期政治史)、関西学院大教授の山川曉さん(美術史)、早稲田大社会科学総合学術院教授の黒田智さん(中近世日本文化史)らが約50人を前に語り合った。

 山川さんは、妻妾(さいしょう)らが処刑の際に詠んだとされる辞世の和歌を着物の 裂きれ で表装した同寺所蔵の掛け軸20幅を紹介。この裂は妻妾らの直筆で本人の着物であるとの言い伝えもあるものの、文様の特徴などから1600年から1700年頃の裂9種類が20幅に用いられていることがわかっている。

 山川さんは「秀次死後16年たって瑞泉寺が整備されて以降、秀次の縁者や信仰のある人から着物が寄進され、表装具に再利用されたのではないか」と推察。さらに「150年遠忌が行われた記録があり、その頃に和歌が作られて多くの人が秀次をしのんだのでは」と、秀吉側から<悪逆>と言われた秀次が、顕彰されていたことを説明した。

 黒田さんは、秀次のほか殉死した5人の家臣、処刑された34人の妻妾らを描いた3幅の集団肖像画「豊臣秀次および眷族(けんぞく )像」を取り上げた。構図が特異で、制作者や経緯はよくわかっていない。描かれた人物の配列が、江戸前期に刊行された秀次事件が題材の小説「聚楽物語」にある処刑順に対応し、儒学思想などにも影響を受けていると指摘。

 制作者の文化的素養の高さがみられるとし「秀次は一級の文化人で家臣らとサロンを形成していた。その系譜に連なる人々が、悲劇を伝えたいと肖像画を制作したのだろう」とした。