「ごめんなさい!ごめんな…」4歳女児を風呂場へ引きずり、顔を浴槽の水に叩きつけた親…「虐待サバイバー」の作家が告白する「大人の今でも忘れがたい絶望感」

AI要約

児童虐待の実体験を含む記事で、児童虐待を受けた菅野久美子さんの体験が描かれている。

母親からの壮絶な身体的・精神的虐待の一環として、母親が風呂場で水責めを行う様子が詳細に描かれている。

菅野さんが母を捨てるという決断に至るまでの経緯が描かれており、虐待による深い傷跡が残ったことが窺える。

「ごめんなさい!ごめんな…」4歳女児を風呂場へ引きずり、顔を浴槽の水に叩きつけた親…「虐待サバイバー」の作家が告白する「大人の今でも忘れがたい絶望感」

※本記事には児童虐待の実体験を含む表現がございます。閲覧にはご注意ください。

「児童虐待」は平成以降、増加の一途をたどっている。ノンフィクション作家の菅野久美子さんも、そうした虐待を受けた子供のひとりだった。

主に母親から壮絶な身体的・精神的虐待を受けていた菅野さんは、今なお残るその生々しい記憶を、著書『母を捨てる』に記して今年上梓した。同書から、あまりにも壮絶な菅野さんの体験、そして大人になった菅野さんが、いかにして「母を捨てる」に至ったかをご紹介しよう。

※本記事は『母を捨てる』(プレジデント社)から抜粋・編集したものです。

思い起こしてみれば、私が物心ついたときから、母は次から次に私を苦しめる方法を見出していった。

ある日、母は新たな虐待方法を発見した。それは、毛布責めをはるかに上回るもので、私は恐怖に打ち震えた。

私の家では、震災などの非常時用に、前日に風呂の水を溜めるという習慣があった。母はそこに目をつけた。その溜めた水を私の虐待のために使用するようになったのだ。

午後の昼下がり。あたりはしんと静まりかえっている。母はあるとき、私が幼稚園から帰るなり、浴室に私を引きずっていった。

「おふろには、いきたくない! いきたくない!」

私は絶叫して、必死の抵抗を試みる。しかし、この結果はわかっていた。いつだって母の勝利なのだ。この戦いは、最初から負けが決まっている。最初から負けの決まったゲームに、強制的に参加させられる絶望――。

ピシャリと風呂場のガラスのドアが閉められる。いつ終わるとも知れぬ、監獄の拷問のはじまりだ。

視界に入るのは、灰色と黒のゴツゴツした小さな石でできたタイル張りの浴室、半透明のプラスチックの湯おけ、揺れる水面。巨大な水色のバスタブ。白い紐にぶら下がった、へちまのたわし。小さな木目調の椅子。カビが生えた、緑色のシャンプーとリンスのボトル。すえたかびの臭い、ブルーのプラスチックのすのこのキュッキュという感触。

そして、ずっと遠い彼方の小窓から風呂場にさす、とてつもなく柔らかな白い光。そう、あの慈愛に満ちた光――。いまだにあの光景は、私の脳裏に焼きついてけっして離れない。

母の巨大な手が容赦なく私の髪をつかみ、顔面を浴槽の水へと叩きつける。迫りくる透きとおった水面。まるで硬いコンクリートに叩きつけられたかのような衝撃。ひやりとした水の感触。あのとき、あの瞬間、母の巨大な手は私の顔面を何度も何度も力任せに、水中へと沈めた。

何かに憑かれたかのように、水面にバシャンバシャンと叩きつけた。まるで思いどおりにならない、壊れたおもちゃを床に叩きつける子どものように――。体中から湧き出た憎しみのエネルギーをすべて、ぶつけるかのように。お前なんか、生まれてこなければよかったと、私を、そして自分の人生をも呪うかのように――。

混濁した意識の中で水が目から入ってくる。ヒリヒリした痛みを感じて、思わず目を閉じる。中耳炎になったときのような、耳の奥の鼓膜に水が容赦なく入ってくる不快感。跳ね上がる水しぶき。

ひりつくように冷たくて、苦しい水の中。鼻の穴、口の中、耳の穴――、顔中の穴という穴から容赦なく入りくる水、水、水。それらの水は、つんとするような激痛を顔面に走らせる。アップアップして、息が苦しい。