朝ドラ『虎に翼』山田よねが合格した旧司法試験の合格率は? 女性法曹はどれくらい増えていたのか?

AI要約

戦後の時代背景と女性法曹の歴史を振り返る

山田よねの司法試験合格までの長い道のり

女性法曹の数が徐々に増えつつある中、よねが弁護士として新たなスタートを切る

朝ドラ『虎に翼』山田よねが合格した旧司法試験の合格率は? 女性法曹はどれくらい増えていたのか?

NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』では第20週「稼ぎ男に繰り女?」が放送中。東京地方裁判所への異動が決まり、3年に渡る新潟赴任を終えた寅子(演:伊藤沙莉)。帰京した寅子は、山田よね(演:土居志央梨)が弁護士になったというニュースを知って、「山田轟法律事務所」を訪ねた。ようやく弁護士の資格を手に入れたよねだが、当時司法試験に合格する女性はどれくらい増えていたのだろうか?

■戦後、高等試験司法科は「司法試験」として再スタート

 大正12年(1923)以降、判事・検事・弁護士の資格認定は高等試験司法科によるものとなっていた。作中では寅子らが昭和13年(1938)の試験に臨み、寅子以外に久保田聡子(演:小林涼子)、中山千春(演:安藤輪子)、轟太一(演:戸塚純貴)が合格した。一方、佐田優三(演:仲野太賀)と山田よねは筆記試験はパスしたものの、口述試験で不合格となった。

 その際、よねは寅子に対して試験委員から男装を指摘され、「偏見をこちらに押し付けるな」と啖呵を切ったことを明かしている。そして「あたしはあたしを曲げない。曲げないで必ずいつか合格してみせる」と宣言していた。

 ところが時代は第二次世界大戦になだれ込み、試験どころではなくなってしまう。戦後は轟とバディを組んで「轟法律事務所」を開き、現在のパラリーガルのような役割を担っていたが、試験を受けている様子はなかった。彼女なりに、激動の時代を生き抜いた先でかつての挫折を思い出し、あと一歩が踏み出せない状況だったのだろう。最後に高等試験司法科を受験してから15~16年もの月日を経て、ようやくよねの努力が実る時が来たのである。

 さて、よねが受験したのは「高等試験司法科」ではなく「司法試験」である。昭和22年(1947)に日本国憲法の施行に伴って「裁判所法」と「検察庁法」が公布されると、司法修習などを担う司法研修所の業務は最高裁判所に移管された。その後、昭和24年(1949)には弁護士法と司法試験法が施行されている。

 この流れを経て、同年に高等試験司法科を廃止して司法試験が始まった。ちなみに、旧司法試験では、第一次試験の受験資格に制限はなかった。

 法務省が公開している「旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移」のデータによると、初回の出願者数は2,570人で、最終合格者数は265人ということで合格率10.31%という結果になっている。うち女性はたった3人だった。昭和25年(1950)1月4日の官報に合格者の名前が掲載された。

 作中でよねは昭和30年(1955)春の時点で約1年半の司法修習を既に終えている。そして、前述の資料からその頃の司法試験合格者をみてみると、以下のようになる。

昭和27年(1952):出願者数4,761人/合格率5.31%/合格者253人のうち女性7人

昭和28年(1953):出願者数5,138人/合格率4.36%/合格者224人のうち女性3人

昭和29年(1954):出願者数5,250人/合格率4.76%/合格者250人のうち女性10人

 狭き門であることは言うまでもなく、まだまだ女性の合格者も少ない。ただ、久藤頼安(演:沢村一樹)が寅子に「女性法曹も着実に増えている。君が道を切り拓いたおかげだよ」と言ったように、少ないながらも戦後女性法曹は徐々に増えていた。よねもまた、その1人である。

 晴れて弁護士となり、「山田轟法律事務所」と改称して再スタートをきったよね。しかし、寅子との間に広がってしまった“溝”は未だ埋まらないままだ。立場は違えど、同じ女性法曹というステータスを持つ2人に雪解けの時は訪れるのだろうか。

<参考>

■旧司法試験第二次試験出願者数・合格者数等の推移(法務省)