「いつか月に行きたい」心臓外科医から宇宙飛行士へ、向井千秋さん72歳の夢

AI要約

向井千秋さんは、日本初の女性宇宙飛行士であり、好奇心旺盛な人生を送ってきた。

医師を目指したきっかけや宇宙飛行士になるまでの経緯、そして現在の東京理科大学での活動について語っている。

彼女の人生は、地元の群馬県から始まり、様々な挑戦を経て、多くの女性に勇気と希望を与えてきた。

「いつか月に行きたい」心臓外科医から宇宙飛行士へ、向井千秋さん72歳の夢

 日本女性初の弁護士・裁判所長である三淵嘉子さんをモデルに描いた朝ドラ『虎に翼』が話題だが、この不定期連載では日本女性として初めて、さまざまな道を切り開いた人物をクローズアップ。第2回はアジア人女性として初めて宇宙に飛び立ち、現在は東京理科大学で特任副学長を務める向井さんの好奇心にあふれた人生について話を聞いた。

「日本人女性初、と繰り返し報じられましたが、自分で意識したことはありませんでしたね。アジア人女性初という表現や、私の出身地である群馬県初、館林市初、なんて書き方もありましたけど(笑)、カテゴリーを小さく分ければどんなものでも“初”になるでしょ?」

 今から約40年前の1985年、毛利衛さん、土井隆雄さんとともに初めての日本人宇宙飛行士に選ばれた向井千秋さんは、あっけらかんとそう語る。男女雇用機会均等法の施行前だったこともあり、女性宇宙飛行士の誕生は大きな話題に。“紅一点”などと報道されることに、当時は違和感もあったという。

「世界レベルで言えば、私はすでに26人目の女性宇宙飛行士でしたから。でも多くの日本人女性にとって、私の存在が『自分も壁を破ってみようかな』と思うきっかけになるなら、という思いでしたね」(向井さん、以下同)

 宇宙飛行士に選ばれた当時は、心臓外科医として大学病院で激務の日々を送っていた。医師を志したのは、小学生のときだったと振り返る。

「3歳年下の弟が、難病で足が不自由だったんです。いじめられることもあり、病気で苦しんでいる人たちを助けたいと思うようになりました」

 自然豊かな群馬県館林市で、理科教師の父親と刺しゅうの仕事をする母親のもとに生まれた。元気に走り回る、好奇心旺盛な子どもだった。

「養蚕が盛んな土地で、近所から蚕の幼虫をもらって育てたことを覚えています。何をどれくらい食べるのか、いつになったら糸を出すのか、楽しみながら観察していました」

 地元の小・中学校に進んだが、中学3年生の進路決定時に、医師への夢が明確なものに。医学部を目指すため、親戚を頼り東京の中学校に転校した。慶應義塾女子高校に進学後、一般受験で慶應義塾大学の医学部に合格。最終的に外科を専攻した。

「目の前で倒れている人を助けられる医者になりたくて、救命救急の医療技術が身につく外科、なかでも命に直結する心臓外科を選んだんです」

 大学病院で、心臓外科医として夜となく昼となく働く日々。多忙を極めるものの充実した毎日のなか「日本人宇宙飛行士募集」の新聞記事が目に留まった。

「1983年12月の新聞記事でした。当時、宇宙に行けるのはソ連やアメリカの軍人だけという時代でしたから、本当に驚きましたよ。無重力空間で宇宙医学などの研究をする人材を募集していたんですが、宇宙飛行士になれたら医師としてもぐんと視野が広がるし、何より面白そうだと思って応募しました」