朝ドラのモデル三淵嘉子は41歳で電撃再婚…相手は「恋愛至上主義」で4人の子がいるエリート裁判官

AI要約

三淵嘉子さんは女性初の判事となり、再婚したエピソードが紹介されています。初の赴任先や夫である三淵乾太郎氏についても触れられています。

ドラマ「虎に翼」に登場するキャラクターのモデルや関連人物についても紹介されており、二人の親密な関係が描かれています。

周囲の人々の証言などから、三淵嘉子さんと三淵乾太郎さんの結婚に至る過程やその関係性が明らかにされています。

ドラマ「虎に翼」(NHK)のモデル、三淵嘉子さんは女性初の判事(裁判官)となってから二度目の結婚をした。三淵さんの評伝を書いた佐賀千惠美さんは「亡夫の和田姓のままだった嘉子さんは、41歳のときに裁判官の三淵乾太郎さんと再婚。お互いに中学生以上の子どもがいる状態で同居を始めた」という――。

■再婚相手の三淵乾太郎氏には前妻との間に4人の子がいた

 「虎に翼」第16週では、寅子(ともこ)(伊藤沙莉)が新潟地家裁三条支部に赴任、支部に着任当初、歓迎の花束を受けました。ちなみに、ドラマでは初の地方赴任が新潟となっていますが、寅子のモデル・三淵(みぶち)嘉子(よしこ)さんの最初の赴任先は名古屋で、そこで3年4カ月を過ごします。最初から名古屋駅前の電光ニュースには「女性の裁判官が赴任」と流れるほどの注目度で、在任中はあちこちから声を掛けられ、講演を行うなど、引っ張りだこになります。

 さらにドラマでは、初代最高裁判所長官・星(ほし)朋彦(ともひこ)(平田満)の長男で、判事の星航一(岡田将生)が再登場しました。星朋彦のモデルは初代最高裁判所長官の三淵忠彦さんで、航一のモデルは、その長男で最高裁判所の調査官もしたことがある裁判官の三淵乾太郎(けんたろう)さんです。視聴者の中には、航一が寅子の再婚相手になるのだろうと推測している方も多いですが、では、実際に三淵乾太郎さんとはどんな人だったのでしょうか。

 三淵乾太郎さんは、明治39年(1905年)12月生まれ。妻の祥子さんとの間に四人の子(長女・那珂(なか)さん、次女・奈都さん、三女・麻都さん、長男・力さん)がいましたが、祥子さんを病気で亡くしていました。

■「お二人の親密さは、どうみてもただごとではない」

 二人を引き合わせたのは、最高裁判所判事・関根小郷さんだったと言います。息子・芳武さんの記憶によると、名古屋時代に嘉子さんと芳武さんとある男性の3人で名古屋の動物園に出かけたそうで、そのお相手が三淵乾太郎さんだったと思われますが、二人の仲がさらに深まるのは嘉子さんが東京に戻ってからのようです。

 東京に戻ってからのことを、同僚の裁判官・高野耕一さんはこう書いています。

 「時々、三淵(和田)さんのお帰りになる時刻に判事室を訪ねてくる長身痩躯(ちょうしんそうく)の英国型紳士に気付きました。お二人の親密さは、どうみてもただごとではなさそうでしたが、その紳士の方の思い入れは、遥かに三淵さんを上回っておりました。……(中略)……三淵さんも満更ではなかったようで、嬉しそうに連れ立って帰って行かれました。私は心中ひそかにあの紳士は何者かといぶかっておりましたが、何かの折りに、あれが最高裁調査官の三淵乾太郎さんだよ、お二人はやがて結婚するのだということを人から聞かされました」(『追想のひと三淵嘉子』)